ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年10月06日
 退屈論 (河出文庫 こ 11-1)

 文庫化にさいして、小谷野敦の『退屈論』には、著者の「あとがき」が付せられており、そのなかに〈当時、東浩紀の『動物化するポストモダン』という新書が話題になっていたが、私はこれに対しても、動物は退屈しないから、人間の動物化などということはありえない、と書いておいた〉とある。ここで、以前からすこし思っていることを、書きとめておきたい。この文庫版でいえば、P116のあたりで、小谷野は、次のようにいっている。長くなるが、以下引用する。〈私たちは十九世紀以来の、小説や映画のような虚構が大衆娯楽として大量生産された世界を生きてきたから気づかないが、元来、虚構の人物を面白がるというのはかなり高度な言語文化なのである。同じような男女関係のどろどろを知るにしても、虚構の人物ないしは自分と関係のない人物のそれを見聞きするより、自分が直接知っている人のそれのほうが面白い。もっとも、一人の人間の交際範囲、特にその人となりをよく知っている人の数などというのは限られているし、その狭い世界でそれほど面白い事件が起こるわけのものではないから、自ずと関心は見知らぬ他人の逸話に向かう。説話と呼ばれるもの、あるいはボッカチオの『デカメロン』で語られるような世俗の逸話の類は、そうして次第に発達したものに違いないが、それもまた、結局はセックス絡みの話、つまり猥談兼ゴシップこそ、人々の最も喜んだものに違いない。実は、十九世紀以来の「虚構」は既に歴史的役割を終えつつあるので、今の若者の多くは電車の中で本など読まずに、携帯電話で友達からその種のゴシップを取り入れたり、それが禁じられて携帯電話による電子メールが見られるようになると、じっとそれを見つめている。原始時代に返ったようなものだ〉。と、こうした、小谷野の、社会ないし世界の見え方自体は、意外と、東のそれと、おおきく対立しない。「動物化」というタームはともかく、01年に発表された東の『動物化するポストモダン』はむしろ、そういった現代的な資質ないし傾向の、そのメカニズムを、オタク文化を通じて、論じようとしたものだ。しかしながら、小谷野と東とを、決定的に違えているものがあるとすれば、それはたぶん、セックス(性交)とコミュニケーションにまつわる問題において、である(じつはその前提には、宮台真司の「意味から強度へ」という言いに対する評価の違いがあるのだが、ここではおいておく)。東は『動物化するポストモダン』の、P127で〈アメリカ型消費社会の論理は、五〇年代以降も着実に拡大し、いまでは世界中を覆い尽くしている。マニュアル化され、メディア化され、流通管理が行き届いた現在の消費社会においては、消費者のニーズは、できるだけ他者の介在なしに、瞬時に機械的に満たすように日々改良が積み重ねられている。従来ならば社会的なコミュニケーションなしには得られなかった対象、たとえば毎日の食事や性的なパートナーも、いまではファーストフードや性産業で、きわめて簡便に、いっさいの面倒なコミュニケーションなしでは手に入れることができる〉として、その生活様式を指し、コジェーヴの言葉を踏まえ、「動物化」というわけだが、そもそもコミュニケーションそのものに、娯楽の要素が含まれており、それがオミットされてしまえば、どのような行動もいつかは飽きるのではないか、というのが、おそらくは小谷野の立場だといえる。このことはむしろ、00年の『恋愛の超克』を読むと、わかりやすい。小谷野はそこで〈「買春は他人の体を使ったオナニー」というのは、だから、間違っている。やはり買い手は、売春婦と会話がしたいのである。もちろん会話といっても、終始むっつりした顔で、無愛想な口しか利かないで、いきなり裸になって股を開いて「はい」と言うような売春婦ばかりだったら、やはり買い手は遠のき、もっと愛想のいい売春婦を求めるだろう。要するに買春者は、売春婦と「コミュニケート」したいのである〉と述べている。以上は、あくまでも売買春撲滅論として書かれたものの一節であって、最近出た『日本売買春史』にあるように、小谷野は、かつてとは考えを変え、現在は売春を「必要悪」として認めるようだから、ここまできっぱりと〈要するに買春者は、売春婦と「コミュニケート」したい〉と、コミュニケーションの部分を強めるかどうかは不明だけれど、すくなくとも、先般の小説『童貞放浪記』を読むかぎり、コミュニケーションを性産業の重要な要素として見ているのには、変わりがなさそうではある。

 
・その他小谷野敦に関する文章
 『童貞放浪記』について→こちら
 『悲望』単行本について→こちら
 「なんとなく、リベラル」について→こちら
 「悲望」について→こちら

 『新編 軟弱者の言い分』について→こちら
 『谷崎潤一郎伝――堂々たる人生』について→こちら
 『なぜ悪人を殺してはいけないのか―反時代的考察』について→こちら
 『禁煙ファシズムと戦う』について→こちら
 『帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて』について→こちら
 『恋愛の昭和史』について→こちら
 『俺も女を泣かせてみたい』について→こちら
 『すばらしき愚民社会』について→こちら
 『評論家入門 清貧でもいいから物書きになりたい人』について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(07年)
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