ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年09月23日
 更科修一郎や宇野常寛によって批判的に言及されることの多いアニメ『交響詩篇エウレカセブン』の、そのマンガ版を手掛けた片岡人生・近藤一馬コンビによる新作『デッドマン・ワンダーランド』が、あたかも「ゼロ年代の想像力」とリンクするかのような、それこそバトル・ロイヤル(バトルロワイヤル)式の生き残り戦を描こうとしているのは、興味深い展開ではあるが、まあ、時流に乗ったいちヴァリエーション以上の意義を、この1巻の段階から見いだすのは難しい。「デッドマン・ワンダーランド」とは、〈東京大震災から10年――東京復興のための観光事業を刑務とする 日本唯一の完全民営化刑務所であ〉り、本来ならば、修学旅行でそこを訪れるはずであった主人公の五十嵐丸太は、突如学校を急襲した「赤い男」のせいで、クラスメイト21人惨殺の罪を着せられた挙げ句、死刑対象の囚人として刑務に服することとなる。世間から切り離され、特殊なルールの敷かれた「デッドマン・ワンダーランド」で戸惑い、〈こんなの狂ってる…!〉と叫ぶ丸太に、看守はつめたく〈…狂ってようがいまいが 不条理こそが現実だろうが〉と言い放つのであった。こうして、生き残るためには戦わなければならない、といった条件が主人公に課せられるわけだが、そのようなフォーマットにあっては、正直なところ、後発の作品だけあって、目新しさはない。しかしながら同時に、先行する表現のなかにある特徴を、べつの角度から、あらたに見えやすくしているふうにも感じられる。それはつまり、主人公とヒロインの関係性である。『デッドマン・ワンダーランド』において、主人公の丸太は、謎めいた少女シロに、そのピンチを助けられる。ヒロインであるシロは、なぜか丸太に対してのみ、度を越えて献身的であり、そのため白痴に見えなくもない。こうしたケースは、たとえば『DEATH NOTE』や『未来日記』、『コードギアス』、『Fate/stay night』にも、じつは当てはまるもので、女性が主人公である『LIAR GAME』はべつとして、ともすれば『ひぐらしのなく頃に』といった作品ですら、それを免れていない。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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