ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年07月27日
 『月刊少年シリウス』9月号掲載。西尾維新によるJDCトリビュート『トリプルプレイ助悪郎』の第3話目である。〈小説ごときが、人間の人生にそこまで影響を与えるものなんだろうか――と二葉は本気で首を捻った〉〈少なくとも二葉自身は、自分の書いた小説に、自分自身が証明されているとは思っていない〉〈あんなもので自分を判断されては――たまらない〉〈――お姉さまはどうなのかしら?〉。と、登場人物のひとりである作家、髑髏畑二葉の小説観を表すような箇所を、ランダムに抜き出してみた。これはそのまま彼女の人生観みたいなものと符合する。彼女は、自分のことを、父親によるひとつの作為であると考えている節があり、その彼女にとっては小説などというものもまた、ひとつの作為でしかないのだろう。これまでの2回、どちらかといえば、彼女の姉である、やはり作家の髑髏畑一葉に寄った視点で話は語られていたが、この3話目において、場面の中心は、二葉にスイッチしている。彼女たちの父であり、偉大なる作家である髑髏畑百足の書斎、そこで二葉は、日本探偵倶楽部から派遣されてきた海藤幼志と対面している。百足はおもに推理小説を書いており、海藤は百足の熱心なファンでもある。海藤はいう、百足の全作品にはいっさいの誤植がない、と。もしも作品それ自体が、作家の素養を何かしらか代弁しているのであれば、つまり百足は、極度なほどの完璧主義者なのであった。推理小説のルールについて、メタ本格、本格、論理パズル、人間が書けていない云々など、と会話に興じる二葉と海藤、フェア精神に則るのであれば叙述トリックというのは文体にどうしても迂回を設けなければならない。そして百足は叙述トリックを嫌っていた。それっていったいどういうことだろうか。翌日、ついに最初の死者が発見される。

 第二回「二人」についての文章→こちら
 第一回「唯一」についての文章→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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