ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年09月01日
 女の子の気持ちなんてわからないよ、男の子だから。女心なんて掴めないよ、モテないから。それでも女の子のことばかり考えてしまうのは、まあ仕方ないといえば、仕方ない。
 
 角川系の雑誌(『野性時代』、『新現実』)に掲載された短編をまとめたものに書き下ろしを加えた、森健にとって2冊目の本にあたる『女の子と病気の感染』の帯には、「萌え」系青春小説なるキャッチフレーズ(?)が記されているのだけれど、どこら辺が「萌え」系なのかわからない僕は、これを、彼や彼女たちの人生におけるある一点(一瞬の交差)を、まるでスナップ写真のように切り取った青春小説として読むのだった。
 ここでの「おれ」という語り手は、デビュー作『火薬と愛の星』や2作目『鳥のようにドライ』と同様、作者である森健を想起させる、そういう趣向を担っている。森の経歴をみてみると予備校講師というのがあって、作中の「おれ」もまた予備校講師として教え子(あるいは元教え子)の女の子たちと会話を交わす。けれども、そういったことはあまり重要なポイントではない。目の前できゃっきゃとはしゃぐ女の子や、薄ら寒い視線を浴びせる女の子、彼女たちの内面に「おれ」の手が届くことはない。もしも村上龍の小説ならば、「おれ」は嬉嬉として彼女たちの内面を語りはじめるだろう。けれど、そんなことはしない。かといって、村上春樹の小説のように自意識が傷つくのを避けるため内省を語りだすこともない。視線はずっと、魂に届けばいいなという願いを込めて、女の子たちに注がれている。彼女たちにあたたかくされたり、あしらわれたり、離れていかれたり、さよならを言えなかったりしたことが、他の何者でもない、「おれ」は「おれ」でしかないことを思い出させる。

 森健の小説は、岸田繁(くるり)のうたう歌に似ている。そしてこれは、たとえば「ワンダーフォーゲル」がそうであるように、やさしくも勇敢な新しい世界を目指すための歩みなんだと思う。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック