ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年08月13日
 女神の鬼 7 (7) (ヤングマガジンコミックス)

 ギッチョ、(勝手に)極楽蝶五代目アタマとなる。そして、五代目ビイストのアタマ内海鄭司の本格的な始動。このふたつを田中宏『女神の鬼』7巻における重要なポイントだと考えて良いだろう。前者は、『BAD BOYS』『グレアー』の世界をつねに見守ってきた初代極楽蝶の岩さん(岩田章)の直截的な介入をもって、それら作品に連なるサーガとしての意味合いを強めており、後者は、『女神の鬼』という作品単体のテーマへと深くかかっている。たとえば、ほぼ臨戦態勢で内海と相対したギッチョ(佐川義)が、〈こんな所にも一匹…凄い鬼がおったわい…!!!!〉と述べる、このセリフが印象的である。一匹二匹とカウントされるように、鬼は、あくまでも鬼なのであって、人ではなく、『女神の鬼』という題に示されているとおり、こうした鬼の心性とでも呼ぶべきものが、作品の主題を片側から支えている。そうしてもちろん、もう片方の側にある柱は、女神の存在ということになる。〈あの内海ちゅー人‥‥‥‥ホンマにそんとに強いんか? ‥‥ワシにはそーは見えんのじゃがのォ…〉とビイストの後輩である金田に評される内海であったが、しかし、亡くなった恋人の形見である赤いCBX(バイク)が盗まれ、そして犯人が見つかったとの報せを受けて、形相をまさしく鬼へと変える。このくだりからは、花山靖にとっての佐川愛や原真清にとっての佐川舞のケースなどと等しく、一対の男女関係のうちにある鬼と女神の役割が、透けて見える。もうすこしいうと、そのような近しい資質の持ち主であるせいで、彼らは、ほとんど生理的に反目し、全存在をかけて争いあわなければならない。こうした同類同士の対立は、過去作『グレアー』にも顕著な、つまり時代を超えて不良たちの精神に根付くものであるが、あそこでのテーマが先行する世代の因果(GOBLIN BLOOD=鬼の血)につよく縛られていたのに対して、『女神の鬼』では、当事者らの「王様」という野望が物語を動かしており、各人の眼のギラつきに従うかのように、廣島連合VSビイストVS不零夜(フレイヤ)VS極楽蝶による四つ巴戦(バトル・ロワイヤル的な状況と言い換えてもいいよ)は、激しさを増す。

 6巻について→こちら
 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 1巻と2巻について→こちら
posted by もりた | Comment(1) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
この記事へのコメント

ワシが王様ならぁ
Posted by 花山靖 at 2012年12月23日 21:25
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