ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年07月10日
 神様ゲーム

 あはは。いやだ。こんな少年時代は嫌すぎる。笑いごとじゃない。すばらしく、具合の悪くなるラストである。目次を開くと、それぞれの章に付せられたタイトルが、始まりと終わりとでシンメトリーになっており、そのあたりからして、じつに麻耶雄嵩らしさを思わせるのだが、やっぱり最後の最後で物語が地盤沈下を起こしてしまう、そのクライマックスぶりに圧倒される。10歳の誕生日を迎えたばかりの〈ぼく〉は、学校の友人たちといっしょに探偵団を気取ったりしている。目下の関心は、市内で起っている連続猫殺害事件である。犯人の名前を、転校生の鈴木君が教えてくれた。根拠はない。でも、それは絶対に正しい。なぜならば〈ぼく〉たちがやっているのは「神様ゲーム」で、鈴木君こそは、この世のすべてを統べる、そういう存在だったのだ。読後の感覚としては、同作者による『夏と冬の奏鳴曲』に近しい。唐突なほどの運命の流転によって、それまで拠り所としていたアイデンティティが、引っぺがされる。望みがすべて叶うことによって、すべての望みが断たれてしまう。そうして人生が終わったあとの人生を歩まされることを強要される。ある意味において、死ぬことよりも生きることの方が地獄に寄っているのかもしれない、という思いなしに読み手は身悶える。麻耶雄嵩の小説の多くには、神という概念が登場するが、それはこれまでと同様にここでも、人間の不完全さを暴露するものとして現れている。神を信じてしまった者は、その神が作ったルールに束縛される。暴走する世界は、しかし神が定めた理の上を回転する調和に過ぎない。とてつもない無力感とともに再生し、祝福された少年にできるのは、ただその目を閉じることだけなのである。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書。
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麻耶雄嵩『神様ゲーム』について
Excerpt: ■本文は事件の「真相」に「触れて」います!  ……しかし、「真相」には至っていません(涙)  麻耶雄嵩『神様ゲーム』〔注1〕のポイントは、 「神様」たる鈴木太郎は「間違えないということ」(本..
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Tracked: 2008-06-02 21:32