ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年07月09日
 ライナー・ノーツを読むと、初期レディオヘッドやミューズが引き合いに出されていて、じっさいにこの『モア・カレッジ・ザン・モスト』の音を聴いてみれば、なるほどな、と思う。ライク・イエスタデイは、テイキング・バック・サンデイと縁深い、ニューヨークの5人組であるが、ヴォーカルの在り方やメロディの立ち方には、かなりミューズに近しいものがある。もしもイギリスから登場したのであれば、フォロワーに捉えられただろう。4曲目の出だしなどはレディオヘッドっぽい。ただし、それはやっぱり潜在の領域から引っ張り出されたものではなくて、後天的なものなのではないだろうか。というのも、センシティヴさやナイーヴさを強調するあまり、ギターの響きまでもが去勢されている、というかスタティックに落ち着き過ぎている。たとえばミューズなんかは、ここ一番というところでは、ギターがぎゅわーんと鳴る。それが美しいほどの広がりへと繋がっているのだが、このバンドの場合、ベースやドラムはずいぶんとしっかりしているのだけれども、ギターの線がか弱く、そのせいでダイナミックな場面展開に物足りなさを覚える。もしかするとミックスのせいかもしれない。だとしたら、もったいない。とはいえ、演奏それ自体は、有機的な結びつきを強く感じさせ、そのあたりに生じる幽玄なグルーヴを、ひとつ魅力として受け入れることも可能だ。が、90年代後半の段階でデフトーンズなどは、レディオヘッドとかのイギリス的なものを踏まえた上で、ああいう叙情性に重たさを噛み合わせていたのだし、そうした部分が個性にまで昇華されていた。と考えるのであれば、これはちょっと日和気味かなあ。影響源と主体との間に拮抗がないというか。それは君、ジャンルとか世代的な問題だよ、といわれたら、ああ、まあそうね、といった感じ。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽。
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