ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年07月09日
 最近はもう、柳内大樹のマンガをあまり高く買うことはなくて、この『ギャングキング』の10巻も、帯の「今一番アツイ ヤンキー漫画」というコピーに、げえ、と思いつつ、ページを開いたのであったが、やあ、ごめんごめん、今回はひさびさにおもしろく読めたよ。ジャスティスの傘下にある凶悪なチーム、トラッシュに潰されたゾンビとキャンディの姿を目にしてジミーは、いったい自分が何をすべきなのか、頭を抱える。ちょうどそのころ、トラッシュへの怒りに狂気を迸らせるゾンビは、傷ついた体のまま、病院を抜け出すのであった。そこからジミーの復活とゾンビの救済を描くまでが、ここでのおもな流れである。ところで話はすこし変わるけれど、同人誌『PLANETS』VOL.3に掲載されている「教科書が教えないヤンキー漫画の歴史」の、『ギャングキング』のまとめはわかりやすく、腑に落ちるものであった。いや、正確には森田まさのりの『ろくでなしBLUES』のレビューなのだが、要するに、「ヤンマガ的等身大の日常」と「ジャンプ的闘争」の自己実現には方法論的に齟齬があり、『ろくでなしBLUES』という作品は、結果、そうした齟齬を埋められなかったとして、同様のジレンマに、いま現在『ギャングキング』は苛まれている、とする。この見方は、たとえば今日においても、尾田栄一郎(はからずも柳内大樹と同じく75年生まれ)の『ONE PIECE』ならば、主人公の「海賊王になる」という宣誓が、そのままストーリーの目的となっているのに対して、『ギャングキング』では、それこそ「ギャングの王になる」ことが、主人公によって目指されているわけでもなく、だからストーリーの目的というか、本筋ともいうべき部分が、よくわからないことになっているのを考えたさい、とても納得がいく。また、以前にも何度かいっているように、個人的に『ギャングキング』における一話単位で完結するエピソードは高く認めるのだが、それをつまり「ヤンマガ的等身大の日常」と言い換えるのであれば、なるほど、本筋ともいうべきパートからは、完全に乖離してしまっているばかりか、登場人物たちの資質からは、一貫性を削いですらいる。そしてそれが、主人公の迷いという、紋切り型であるにもかかわらず、ぐだぐだな展開を呼び込んでしまっているとさえ、いってよい。こうしたことを踏まえたうえで、この巻に関しては、あまり多くの不満を持たなかったのはなぜか、を述べると、友人を救うというシンプルでストレートなテーマに従い、主人公の行動が規制されているためであろう。拳をふるったときの作画上の処理、今日のヤンキー・マンガで多用される、あの、見開きで殴られた人間が吹っ飛ぶ構図も、ここでは、ケンカの強さというよりはむしろ、殴った側の器の大きさを示すものとなっている。余談だが、この見開きの使い方、拳が与えるダメージを、『ろくでなしBLUES』やハロルド作石の『ゴリラーマン』では、できうるかぎり格闘技のセンスと一致させているのに比べ、『クローズ』終盤以降の高橋ヒロシは、あくまでも人間のスケールを測るものとして扱っているように思う。さて、と『ギャングキング』の10巻に話を戻すのだけれども、ただねえ、ジミーがさあ、自分を取り戻すきっかけが、結局のところ他者に対する想像力の話になってしまうのは、ちょっと、想像力が貧困ですよ。しかし、まあ、親しい人間の死をどう意識するか、というのは、あとあとになってピンコの人間性と対をなす重要なファクターとして機能するのに違いなく、そうだからこそ、もうちょい、説得力のあるくだりにはできなかったものか。

 9巻について→こちら
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 『ドリームキングR』(原作・俵家宗弖一)
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 『ドリームキング』
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posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
この記事へのコメント
はじめまして。
この巻に感動して、『ギャングキング 10巻』で検索したらたどり着きましたw
すごいレビューの数ですね。しかもどれも文章が面白いです!

この巻のクライマックスなんですが、火に飛び込むのはキャンディーであってほしかったというか。もちろんヒーローによる救済って必要なんですけど、
Posted by pon at 2009年03月23日 20:54
ponさん、コメントありがとうございます。

「ギャングキング」に関しては、けっこうきついことをいっている(というのも、そもそもの期待値が高いから)なので、ありがたいことを言っていただけると、とてもうれしいです。

たぶん、キャンディみたいな旧式のヒーローがヒーローになってしまうと善悪の構図が単純化してしまうので、そこにジミーの葛藤みたいなものが挿入されているわけですが、もうすこしそのへんを「想像力」という抽象に逃げないで、断言化して欲しいというのが個人的な望みなのでした。
Posted by もりた at 2009年03月24日 21:30
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