ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2018年06月24日
 サイケまたしても 12 (少年サンデーコミックス)

 幼馴染の命を救うためにタイムリープを繰り返すというSFやファンタジーの定石だと思われていたはずの物語が、あれよあれよの間に異能のバトルへ展開していったのは、ああ、『うえきの法則』の作者っぽいな、と感じられた。福地翼の『サイケまたしても』である。この12巻では、宿敵であったヨハンとの決着が、いよいよ付けられる。特殊な能力(オラクル)を持つ人間、能力保持者(オラクルホルダー)の優位を説き、能力を持たない人間(ノーマル)に進化をもたらそうとするヨハンの、その頑なな信念はどこからやってきたのか。謎めいていた過去が明かされると同時に、ヨハン・ディートリッヒの野望を打ち砕こうとするサイケの必死な戦いが描かれていく。果たして、ヨハンもまた、愛する人間に降りかかった悲劇と覆すことができない過去とを挽回すべく、自分の能力を使い、あるべきヒーローの像を目指していたのだった。

 運命は変えられるのか。このような問いに対し、主人公であるサイケ(葛代斎下)の能力は、変えられる、という断言と同義の働きかけを有していることは明らかだ。同じ1日を何度でも繰り返せるサイケの能力は、無数に分岐した可能性のうちから最適の結果のみを選び取り、再現できるのであって、それは既に幼馴染みである蜜柑の死を回避してみせたことで証明されている。これはしかし、彼にだけ与えられた特権にほかならない。時間を遡れず、過去の修正も叶わない人間は、どうしたら悲劇に終わった運命をやり直せるのか。ヨハンの凶行は、そのような問いに向けられた苦悩の代弁であろう。大切だと信じられる存在を救えた者と救えなかった者との違いが、サイケとヨハンの差異なのである。その差異が、2人の価値観に衝突を生じさせている。これまでのエピソードを通じ、サイケとヨハンのあいだにシンパシーがあることは示されてきたが、彼らは一種の対照となっているのであった。12巻でもヨハンの側近であるシルヴァーノ・ダ・ヴィンチが、サイケに次のように述べているのを押さえておきたい。〈お前とヨハンはどこか似ている。正確に言えば、「表裏一体」なんだ。あいつもお前も… 誰かのために自分をなげうてる強さを持っている。違うのは、それが全ての者に向けられるか… 能力保持者のみに向けられるかだ〉

 この世界は悪意に立ち向かうヒーローを欠いているのだとすれば、誰かがヒーローになるしかない。『サイケまたしても』で、度々、主張されてきたテーマである。サイケとヨハンの対照は、銘々が理想としたヒーローの像によっている。どちらに正義があるのか。あったのか。ついに答え合わせのなされるときがきた。人質にされた蜜柑を助けるべく、サイケはヨハンに最後の戦いを挑むのだった。幼馴染みの命を救うことが、主人公の出発点であったとしたら、それがクライマックスたりえる局面で再び繰り返されていることに留意されたい。度々、繰り返すというのも『サイケまたしても』における重要なテーマである。ヨハンの野望を打ち砕き、幕を閉じる寸前までいった物語は、思いがけぬ波乱を経て「またしても」引き延ばされることとなる。そう、またしても、であろう。所謂ラスボスと見なされていた黒田ユメヲの役割がヨハンに取って代わられるという過去のあのパターンが、別の人間の手によって反復させられているのだ。

 ある意味で『サイケまたしても』は、大切だと信じられる存在の喪失に抗う人間の姿を描いている。サイケもユメヲもヨハンも、それぞれの方法で、大切だと信じられる存在を悲劇からすくい上げようと戦っていたのである。そこには常に、運命は変えられるのか、という問いが内蔵されていた。他方、能力の起源(オラクルのルーツ)や万物の記録(アカシックレコード)をめぐり、作品は新たな段階に入った。頼れる仲間である氷頭やアナとともにサイケは「またしても」様々な困難を乗り越えなければならないのだろう。そして、おそらくはそのなかでも、運命は変えられるのか、という問いが繰り返されていくのに違いない。
posted by もりた | Comment(0) | マンガ(2018年)
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