ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年06月26日
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 『私の恋人』の2巻を探しているのに、見つからず、まだ手に入れられていないのが悔しいのだけれども、それ以外の過去作は何とか全部集まった。と、まあ、そのぐらい、以前の作品集『BLUE』を読んでよりずっと、咲坂伊緒のことは気にかけているのだが、しかし、どこがどう好みなのかを説明しようとすると、なかなか難しく感じられるのは、ストーリーのレベルだけでみると、とくにトピックとなるような、おおきな特徴があるわけではないよね、と思えるからで、それは、この新刊『マスカラ ブルース』に収められている三篇にしても同様に、表題作の「マスカラ ブルース」や、続く「ロマンスの輪郭」などは、おおまかな概要を述べるのであれば、前者は、親しい男友達を突然恋愛対象として意識してしまったさいの戸惑いを扱い、後者は、苦手だと思っていた男子こそが実は王子様だったというパターンにしか過ぎない。たしかに、類例の多いものであるがゆえに、感情移入を催しやすいというのは、ある。だが、もちろんそれだけで作品に魅力をつくり出せるわけがないところで、この作者の資質がどこにあるのか、を考えざるをえず、そうして気づくのは、ひとつの物語を編むにあたって、主人公(ヒロイン)以外の登場人物もまた、けっして書き割りではなく、一個の人格ないし内面を所有している、こうした認識を土台としているおかげで、そのうえに築き上げられるドラマの表情が豊かになっているのではないか、ということだった。これは、いくつかの過去作において、登場人物の視点ないし内面を意味するモノローグがマンガの途中でべつの人間のものに切り替わる、というような仕草となって現れていたものだけれど、そういう手続きを踏まなくともこちらに実感されることを、『マスカラ ブルース』における三篇は、証明している。基本的に、ここで成立するカップルたちはみな、あらかじめ両想いに近しい状態にある。ただ、意志の疎通がうまく図れていない、要するに相手側の気持ちを互いに透視できないため、悲喜劇的になってしまう。これを、あくまでも主人公(ヒロイン)の一人称による物語として展開しつつ、彼女たちを独我論じみた世界に埋没させていない、あるいは、そこから彼女たちのエモーションを救い(掬い)出すかたちで、すべてが落着している点に、おそらく、咲坂伊緒の資質はあるのだろう。ただし、性同一性障害を話の落としどころとする「私が私であるために―長い夢―」に関して、そういったモチーフを用いることに、どうしても、というほどの必然があったのか、いささか疑問を呈したくなるのは、そこでは、セクシュアリティの問題が、孤独を際立たせるのに都合の良い、小道具以上の役割を果たしてしないきらいがあるせいである。

 『BLUE』について→こちら
 『GATE OF PLANET』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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