ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2018年03月15日
 ダーウィンズゲーム 14 (少年チャンピオン・コミックス)

 ポスト・デス・ゲームとすべきか。理不尽なデス・ゲームに投げ込まれてしまった成り行きをゲーム・マスターをやっつけなければならないという目的に帰結させるタイプのフィクションにおいて、それがデス・ゲームであることの意味はどれだけあるのか。少しばかり疑わしくなるときもあるのだが、最近、よく見かけるものではある。FLIPFLOPsの『ダーウィンズゲーム』も、その一例に数えられる。プレイヤーたる主人公は、あくまでもゲーム・マスターを倒すべく、理不尽なデス・ゲームを生き残るのである。狂気を帯びたヒロインが主人公の少年にベタ惚れしている等、類型的な部分は少なくない。けれど、いやいや、類型的な部分がマイナスではなく、むしろ加算されるようなかたちで魅力のたっぷりなマンガになっているんですよ、これが、と思う。あえて喩えるなら、『HUNTER×HUNTER』のグリードアイランドで架空戦記が展開されている感じかもしれない。本質は、特定条件や限定空間のなかで繰り広げられる異能のバトルだといえる。先に述べた通り、その特定条件や限定空間を作り上げたゲーム・マスターを破ることに筋書きは一本化されている。そして、ゲーム・マスターを破るためにデス・ゲームの内部でいくつかに分かれた勢力の統一が必要とされていくのだった。

 スドウカナメは、とりたてて秀でたところのない平凡な高校生であった。しかし、友人であるキョウダからスマートフォンに送られてきたダーウィンズゲームというソーシャル・ゲームの招待URLを何気なく踏んだことで、すべてが一変してしまう。それは決してよくあるソーシャル・ゲームではなかったのだ。現実の世界そのものを舞台にし、各々に与えられたシギル(異能)を駆使しながら、対戦相手を倒すことで、巨額の富に換金可能なポイントを稼いでいくのである。当然、勝利すれば、ポイントを得、敗北すれば、ポイントを失うわけだが、おそろしいのは、ポイントがゼロになったなら、ゲーム・オーヴァー=アカウントの消滅=死が待ち受けている点にほかならない。途中でおりる手段は、ダーウィンズゲームに存在しない。金儲けのために参加したプレイヤーも、事情を知らずに巻き込まれたプレイヤーも、等しく命懸けの攻防を繰り返すしかないのだ。自分が有するシギルの使い方もままならぬまま、初戦、二戦と、まさか、有名なプレイヤーに勝ち続けたカナメは、それでも人間同士が殺し合うことに納得がいかず、どうにかゲームを終わらせる方法はないかと模索するのであった。他方、シギルが現実の社会に及ぼしている影響を察知した国家権力は、ダーウィンズゲームに介入するため、独自の路線を歩み出したカナメへの接近を試みようとする。

 クラン(ギルド、チーム)のシステムがプレイヤーにとってのアドヴァンテージになっているところは『ダーウィンズゲーム』の特色の一つであろう。これにより、個人個人の衝突である以上に共同体と共同体の対立であるような側面が大きくなっている。サヴァイヴァルやコンゲームの色合いよりも擬似的な陣取り合戦、国盗り物語の様相を強くしているのだ。無名であった若者が、さまざまなピンチとチャンスを経、頭角を現し、カリスマを発揮、頼もしい味方を従え、圧倒的な勢力を築き上げていく。ここにデス・ゲームのパターンを正しく踏襲していた序盤とは異なる段階へと『ダーウィンズゲーム』を飛躍させたダイナミズムがあるのは間違いない。エキセントリックで可愛い女性の登場人物が揃っているのは、この手の作品のセオリーだが、芯の通った男性の登場人物が多数、戦国の武将よろしく、ワキを固めているあたりに硬派なニュアンスが出てもいる。主人公であるカナメの立ち上げたクラン、サンセットレーベンズが、渋谷、東京、関東と制圧圏を拡大することで、不用意なダーウィンズゲームの対戦を禁止するというのが、中途のクライマックスになっているのである。

 さて、誰が一体何のためにダーウィンズゲーム(作中ではDゲームと呼ばれることもある)を開催しているのか。その謎に近づき、ゲーム・マスター(作中の綴りではゲームマスター)の顔を垣間見られたのが、13巻だった。ダーウィンズゲームが意図していることの解明は、この14巻で、さらに前進している。〈ポイントと異能(シギル)その二つが人をDゲームに引きつける餌でしょうね〉しかし〈異能(シギル)は餌ではなくDゲームの目的そのものなんじゃないかと〉〈Dゲームアプリは異能(シギル)をばらまくためのウィルスみたいなものなんじゃないかと〉そして〈GM(ゲームマスター)は電波を使う異能(シギル)使い〉なのではないか、と。デス・ゲームを左右するゲーム・マスターとの直接的なやりとりを指向するタイプのフィクションとは、おそらく、メタ・レベルを認識することは可能であり、メタ・レベルに干渉することも可能だという発想、または錯覚と密接である。メタ・レベルへの目配りを織り込んだストーリーは、しばしば時間ループのSFや並行世界のSFを設定に借り受ける場合がある。そうした傾向を、やはり『ダーウィンズゲーム』も覗かせている。
posted by もりた | Comment(0) | マンガ(2018年)
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