ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2018年01月20日
 白星のギャロップ 3 (裏少年サンデーコミックス)

 西連助の『白星のギャロップ』だが、ええっ、これからというところなのに3巻で終了かよ。驚かされたものの、タイトルを変え、再開される旨の予告を見、一安心する。おもしろいもんな。さては鳴海聖二郎の『栄光のギャロップ』とタイトルがバッティングしていることが鑑みられたのかしら、と思う。『白星のギャロップ』(小学館)も『栄光のギャロップ』(講談社)も、競馬の騎手を父親に持った主人公を描いているけれど、父親に向けられる感情が正反対なのは興味深い。そう、『栄光のギャロップ』が父親への憧憬に端を発しているのに対し、『白星のギャロップ』は父親への憎悪に端を発しているのである。

 過労が祟ったのか。女手一つで自分を育ててくれた母親が半ばノイローゼになり、亡くなった。病んだ母親が競馬のテレビ中継にしか反応を示さなくなってしまった末期は悲しかった。しかし、それには理由があった。母親の死後、祖父から自分の父親が実は有名な騎手、藤宮将二であることを教えられた少年、森颯太は、いずれ競馬の騎手となって、こんな目に遭わせたそいつを引きずり落してやろうと誓うのだった。ここまでの3巻に渡って繰り広げられていたのは、颯太を含め、プロの騎手になるべく、競馬学校に入った6人の若者の奮闘である。河合克敏の『モンキーターン』における研修所のパートを競馬のヴァージョンにした感じといったら、イメージしやすいかもしれない。気が置けない同窓たちとの切磋琢磨、友情や反発、一般の学生とは異なった色合いの悲喜こもごもが、少しばかりヘヴィでいて、総体的には軽快なストーリーの上に導かれているのだ。

 登場人物の個性をきっちり押さえ、ちょっとしたプライドやディス・コミュニケーションによってもたらされた葛藤を、過剰に演出するのではなく、滑らかに転がし、苦い後味を残しても丸く収まるようなドラマへと運んでいく手際に優れている。ある意味、主人公の肉親に対する不理解からはじまった物語である。そして、颯太のみならず、他人に対する不理解は『白星のギャロップ』の随所に見かけられるテーマでもある。不理解は、生徒たちの前に、ちょうど障害を飛越する訓練のように立ち塞がる。彼らは皆、自分とは違う他人との共存のなかで、どうしてだろう、という問いに思い悩み、自分とは違う他人との共存のなかに、どうしてなのか、という当たりをつけようとするのであった。必ずしも潔癖には生きられないので、どこかひねくれてしまってはいるが、それでも目標だけは誤るまい。くじけることのない若者のひたむきさが、晴れやかな青春像を造形しているのだと思う。

 いかにして不理解を斥けるのか。これはやがて、颯太と父親の関係にまで適用されることになるのだろう。そこに至る道筋があるのだとしても、物語はまだ、とば口に立ったばかり。厩舎に所属し、ようやく、競馬学校を卒業しようというところで『白星のギャロップ』の幕は下りている。プロの騎手になった颯太の活躍は、予告された続編に期待したい。
posted by もりた | Comment(0) | マンガ(2018年)
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