ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2017年04月28日
 EVIL〜光と影のタペストリー〜 1巻 EVIL〜光と影のタペストリー〜 2巻 EVIL〜光と影のタペストリー〜 3巻

 控えめにいって、上作である。作品のデザインやショックのレベルで見るなら、いくらか古くさく感じられるところもある。が、新しいや古いの基準で判断されるべきマンガではないだろうとも思う。塀内夏子のキャリアにおいては『勝利の朝』や『イカロスの山』『明日のない空』等、サスペンスの色が付いているものが少なくはないけれど、この『EVIL〜光と影のタペストリー〜』では、それが全面に出、非常に血みどろのドラマを作るに至っている。血みどろとは、つまり、生き死にの凄惨さが直接描かれているということであって、その生きることと死ぬことの熾烈な対立のなかに心揺さぶられるものが宿されているのだ。

 三人の若者の友情の物語だといえる。あるいは一組の兄弟の愛情の物語だといえる。一方で、とある母子の憎悪の物語だともいえる。内海アツトと長谷みずきは、M高校の三年生、二人しかいない美術部の部員であり、M高校のアトリエを借りにきたK高校の九條エイジと出会い、じょじょに親交を深めていくこととなる。アツトは才能を高く評価されていたが、それ以上にエイジはすぐれたデッサンの持ち主であった。エイジがM高校のアトリエへ通い出したのと前後し、猟奇的な連続殺人が耳目を引きはじめていた。殺害した人間の首を切断するというのだ。事件に興味を抱き、警察が公開した防犯カメラの画像を見たみずきは、犯人の輪郭がエイジのものに似ていると気づく。そして、エイジは、十四年ぶりに再会した兄のレイジこそが犯人なのではないかと思うのだった。犯人探しのミステリが主題ではないので、実際に兄弟が事件と関係しているのかどうかは早い段階で割れるのだけれど、重要なのは、エイジとレイジに容疑がかけられる過程で、二人の驚くべき幼少期が明かされる点であろう。

 良心を一切持たない若い母親から兄弟は虐待を受けていた。ネグレクトを通じ、いかなる影が彼らにもたらされたのか。その影の大きさが次第に浮かび上がってくる。母親譲りの美形がエイジとレイジの特徴の一つとなっているのと同様、幼少期の過酷な体験が二人の精神に周囲には伺え知れない歪みを植え付けていたのだ。兄弟と母親の姿に反映されているのは、生まれと育ち(遺伝と環境)の呪いにほかならない。『EVIL〜光と影のタペストリー〜』において、呪いに敗北していった者は不幸な最期と一致せざるをえない。加山という同名の(ルックスも近い)女性カウンセラーが登場することもあって、『EVIL〜光と影のタペストリー〜』には『明日のない空』の引き写しに思えるような部分がある。ただし、『明日のない空』は、死に飛び込んでしまいかねない人間を引き戻そうとする力の強さが物語に明るさを灯していたけれど、『EVIL〜光と影のタペストリー〜』には、死に飛び込んでしまいかねない人間の凄みが支配的であり、それに引きずられ、物語の色合いに暗さが増している。

 後半、事件の真相を掘り下げるにあたり、作中人物の「語り」によって占められる割合が多くなってしまうが、前半における美術部としての活動を中心にしながら「絵」の持ちえる可能性が直に描かれた箇所には、作者の技巧的なスタンスがよく現れていると感じられる。アツト、みずき、エイジの三人の関係と青春とが、共同制作の形を通じ、輝かしい印象を放つ。美しい場面でもある。しかして、それは悲痛なトーンの作品に喜びと似た装飾を加えるものとなっている。ラスト・シーンに注意されたい。残酷な出来事を経ようとも、アツトとエイジが「絵」を捨てずにいたことが感動的なのではない。かつて「絵」を通じて見た希望を忘れずにいたことが感動的なのである。

 どうして凶悪な犯罪が起こったのか。作中人物たちの口を借り、動機や理由の答え合わせが行われていく。だが、必ずしも真相を言い当ててはいないかもしれない。深奥に置かれた謎は、謎のまま、すなわち、一体何が人間を善と悪とに隔てるのかという問いは解消されず、読者に共有されるためのテーマとして残される。

・その他塀内夏子に関する文章
 『明日のない空』
  2巻について→こちら  
  1巻について→こちら
 『イカロスの山』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『雲の上のドラゴン なつこの漫画入門』について→こちら
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