ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2017年01月22日
 龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(3) (講談社コミックス月刊マガジン)

 川原正敏といえば、『修羅の門』が有名だけれど、『修羅の刻』や『海皇紀』等、実は歴史ものや戦記ものの作者としてのキャリアが長い。その川原が『龍帥の翼 史記・留侯世家異伝』で扱っているのは、副題にある『史記』のなかでも「項羽と劉邦」の物語によって知られる箇所である。「項羽と劉邦」は、横山光輝や本宮ひろ志といったビッグ・ネームをはじめ、多くのマンガ家に描かれてきたが、『龍帥の翼』の場合、漢の劉邦に使えた軍師、張良を主人公とし、彼の復讐と立身出世とに重きを置くことで、独自性を導き出そうとしているのではないかと思う。もちろん、舞台は紀元前の中国だ。秦が中国を統一する際、祖国である韓を滅ぼされた張良は、仇である始皇帝の打倒を誓う。それが天命なのか。多勢に無勢で秦に挑み、敗走を繰り返しながらも生き延び、不思議な出会いを経、劉邦の軍に合流するのであった。独自性は、張良や劉邦が(膨大な人口においては、これぐらいの才能はまれではないであろうという意味で)平凡なカリスマとして描かれているあたりにも見られる。作中のレベルはもとより、読者のレベルから判断しても期待値の低い登場人物となっているのである。注意されたいのは、その平凡なカリスマの一人であるような張良が自分の来歴を捏造していくことで、歴史や物語のレベルでの役割を大きくしている点だ。要は、はったりや法螺の類が張良の知性をアピールする手段となっている。通俗的な張良のイメージは、張良自身に創作されたものであって、そこに作者の想像力の入り込む余地が生まれているという仕掛けでもある。はったりや法螺の類であろうと口コミなどの情報を操作し、自分を過大広告することは、インターネットが主流の社会でも頭が良いとされる人たちがやっていたりするので、まあ、現代に通じるところがありますね、といえる。正直な話、張良が現代にいてもおかしくはない平凡なカリスマみたいに描かれているため、彼の活躍からくる盛り上がりは弱い。これを補っているのは、黄石や窮奇といったファンタジーの世界からやってきたかのような登場人物の存在感であろう。本来なら張良の師として伝えられている人間を正体不明の少女にアレンジした黄石と鬼神じみた戦闘力の窮奇とを張良の強力な仲間に据えていることもまた『龍帥の翼』の独自性に挙げられる。いや、むしろ、黄石や窮奇の存在感こそが作品にとっての重要なフックになりえているのだけれど、しかし、主人公の位置を占めているのは、あくまでも張良にほかならない。黄石や窮奇の助けを得た張良が次第に頭角を現していく。やはり、これを抜きにしては成り立たないマンガになっているし、この3巻では、張良を軍師に加えた劉邦にも平凡なカリスマ以上の輝きが備わりはじめているのであった。
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