ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2016年08月16日
 百足-ムカデ- 3 (少年チャンピオン・コミックス)

 全3巻。この長さは、少年マンガの連載作品における通常の規格からすると、打ち切りに遭ったかのような印象を抱いてしまう。が、フクイタクミの『百足‐ムカデ‐』に限っては、この長さこそが作者の狙いであり、適正であったことは確かだ。その意味で、少年マンガの連載作品においては規格外になったといえる。そう、サブ・エピソードの列挙による(キャラクター・ビジネスに都合のいい)冗長さを抜きに放たれた。必殺の少年マンガなのだ。

 以前にも述べた通り、話の筋は至ってシンプルだ。強烈な拳の使い手、馬頭丸が、自分を救ってくれた娘とその家族が住む村を守るため、100人からなる悪党の集団、百足と一昼夜に渡り、死闘を繰り広げるのである。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、それ以上でもそれ以下でもない、と焦点を絞りきっていることが、全編にフル・スウィングの勢いをもたらしている。

 大風呂敷を広げることに淫するのではなく、まるで広げた大風呂敷を畳んでいく際の瞬発力、ダイナミズムのみを捻り出したかのような作品であって、やはり、そこに惹かれるものがある。1巻と2巻を通じ、大多数の百足を蹴散らしてきた馬頭丸だったが、自身の消耗もかなり激しい。1対100、そして、残る百足は38人、いよいよ決着のときが差し迫っていた。3巻で描かれるのは、正しくその決着のときであり、本当に最後のバトルにほかならない。

 悪人にも苦悩はあるんだよ式のエクスキューズや善人にも陰があるんだよ式のおためごかしを挟み込まない潔さが、さらなる佳境を盛り上げていく。なぜ、馬頭丸と百足が戦い合わなくてはならないのか。それは強い立場であるという一致があろうと、あくまでも百足が弱き者をくじく側にい、馬頭丸が弱き者を助ける側にいるからだ。満身創痍となりながらも決して揺らぐことのない馬頭丸の決意に耳を傾けられたい。

 ああ、〈誰だか知らん奴を助けるのはマヌケか? 『まぬけ』か…? 俺は そうは学ばなかった そうは思わなかったよ 誰かをかばって背負って痛い目見てもな… まぬけと呼ぶ奴がいてもな 俺は『しまった』とか『やめときゃよかった』とか 言わねえさ〉

 ただし、馬頭丸にも乗り越えなければならない欠落があった。幼少期の自分に道を指し示してくれた師匠の喪失である。百手無双流という無敵の技を授かったはいいが、それを役立てる前に師匠が亡くなってしまったことは、馬頭丸にとって寄る辺がないのに近い心境をもたらしてしまう。馬頭丸がどれほどの使い手であろうが、百手無双流の正しい使い方だけは譲り受けられなかったので、その正しい使い方を文字通りの徒手空拳で探し当てなければいけないのだ。

 換言するなら、『百足‐ムカデ‐』とは、あるいは百足との死闘とは、馬頭丸が自分の生き様を確立するための戦いでもあったのである。窮地をくぐり抜け、探し当てた答えにいかなる価値があるのか。馬頭丸の勝利が幸福や安息のイメージと固く結びついていることに明らかであろう。

 1巻について→こちら
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