ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年08月12日
 伊坂幸太郎の小説は、おもしろいと思うし、好きだし、読み終えたときに泣けてきてしまうものもあるのだけれど、正直なところ、永く心に残らない。それはもちろん、読み手であるところの僕の性質によるのかもしれないし、あるいは書かれたものがミステリという形式だからなのかもしれない。

 とはいえ、中学校の頃に読んだ赤川次郎の『ひまつぶしの殺人』はずっと心に残ってんだよな。ああ、でもあれは、人が理由もなく死ぬ、理由もなく殺される、理由もなく殺す、そういったことがあまり信じられていない時代に書かれ、読んだというインパクトでもって忘れていないだけなのかな。どうだろう。

 っていうか、じゃあ今は、理由もなく死んだり、殺されたり、殺したりするってことが信じられてる、そんな時代だっていうのかい。

 『グラスホッパー』に綴られているのは、たぶん、そのような問いかけである。物語は、復讐者、殺し屋、自殺を強要する者の3人の視点でもって、同時進行する。彼らが求めるものは、共通していて、それはおそらく生きる意味みたいなものである。そして、それを見つけられたものは生き残るし、見つけられなかったものは死ぬ。それなりに複雑な構造を持っているといえるけれど、中身は、おどろくほどにシンプルだ。まあ、すぐれた寓話なんてのはいつだってそういうもんさ、といわれれば、なるほど、きっとそうなんだろう。

 「僕は、君のために結構頑張ってるんじゃないかな」
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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