ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2016年07月20日
 境界のRINNE 31 (少年サンデーコミックス)

 現在、メジャーなマンガ誌のなかで最もカッティング・エッジな連載を述べるとするならば、もしかしたら高橋留美子の『境界のRINNE』なのではないかと思うようになってきた。いや、かつてほどに個性的な美少女を描けなくなってしまった絵柄を指し、作者の衰えを見る向きもあろう。だが、同時に吾妻ひでお化しつつある絵柄がそうさせるのか。『犬夜叉』以前には顕著であった不条理ギャグのテイストが戻ってき、なおかつ、一切の情緒を信じてはいないかのような悪意が全体に張り巡らされている。これがベテランの今のヒット作として認知されていることに驚かされるのだ。

 テレビ・アニメにもなっている作品なので、大勢の人間が概要を知っているには違いないが、基本的には、この世に未練を残しているために成仏できないでいる亡霊を、死神の資格を持った少年と霊視の能力を持った少女とが協力し、あの世へと送り出すというプロットを、一話完結もしくは数話完結のミニ・エピソードとして羅列している。普通、図らずも命を落としてしまった死者の無念と生者がいかに向き合うかを主題としているのだとすれば、ある種のエモさは免れない。死者が残していった悔いを残された生者がどうイメージするかは(宗教のレベルで突き詰めていったらはともかく)極めて感情的な問題だからである。

 しかし、既に述べたように『境界のRINNE』には、情緒を信じているような素振りが一切ない。たとえば、死者にも悲しみや憎しみ喜びが存在しうるとしたところで、生者のそれと同様、しょっぱいものでしかない。まるで、そう突き放した認識すら、うかがえるのである。留意されたいのは、死者ばかりか生者のエモーションまでをもシビアに扱っていながら『境界のRINNE』が、まったくシリアスな作品ではない点であろう。むしろ、いくらでもシリアスに組み立てられそうなプロットやテーマを茶化してみせることで、ナイーヴなリアクションやダウナーなテンションとは掛け離れた人生の明暗を導き出しているのであった。

 率直な話、『境界のRINNE』では、生きているあいだに報われなかった人間が死んだからといって報われるわけがないということが、決して少なくはないエピソードにおいて共通している。持たざる人間は生きようと死のうと持たざる人間のままだということが、繰り返し描かれているのである。この強烈ともとれる人間観、死生観、価値観こそ、『境界のRINNE』の本質なのだと思われる。

 生きているあいだに願いが叶わなかった。あるいは評価を求めた人間からは評価をもらえなかった人間が亡霊となり、この世に関与してしまうタイプのエピソードは、31巻だけでも数個確認できる。なかでも親友の結婚式に何かしらかの理由があり、後ろ髪を引かれてしまった女性を題材とした「ブーケが欲しい」の回は、どうであろう。あくまでもコメディとして展開しつつ、徐々に明かされるのは、登場人物のおおよそがろくでなし、の事実だけだ。善意も祝福も憐憫もない。エモさの欠片もないはずのハプニングに一切の情緒を付け足さない冷めた視点(それはオカルトを信じている人間のあの熱っぽい語り口とは対極にあるもの)が、恨み節になりかねないどろどろとしたお話に不思議な歯切れの良さをもたらしている。
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