ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2016年03月05日
 トラビスといっしょなら(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 馬鹿も元気いっぱいに描いたら、なんだか不幸には見えないぞ、というのも、貧乏も元気いっぱいに描いたら、なんだか不幸には見えないぞ、というのも、ある種のトリック(詐術)にすぎない。わかっていながら、中田あもの『トラビスといっしょなら』を読んでいると幸せな気分になってしまうのだから、いけない。題名だけで捉えるならば、まるでトラビスというペットとのほのぼのした生活をイメージさせなくもない。が、このトラビスとは、ヤンキー的なバッド・センスで描かれた中卒少年のことである。トラビス=虎火守であって、所謂キラキラ・ネームのごとき本名である。トラビスと弟の犬吾、そして、トラビスの恋人である女子高生のみぽちを中心にしたミニマリズムのコメディが『トラビスといっしょなら』に企図されているところなのだ。魅力は、やはり、主人公である三人の幼さや頭の弱さが悪意とは無縁そうな基調を為している点であろう。トラビスが進学を望まなかったのは(勉強が嫌いだからなのもあるが)母子家庭であるがゆえに病弱な母親と小学生の弟のために生活費を稼がなければならないからであり、それはもちろん、思い遣りからやってくるものではあるけれど、不良少年の根は優しい式のおためごかしとは、いくらか距離を置いたもののように思われる。トラビスの無知であること、正しく馬鹿であることが、欺瞞がないこと、文字通りにイノセンスであることを担保しているのだ。だからこそ、犬吾もみぽちもトラビスを放っておけないのだし、頼りにもするのであろう。同様に犬吾やみぽちは、トラビスのイノセンスを映し返す鏡にほかならない。彼ら三人の持ちつ持たれつの関係や彼らが引き起こしていく悶着は、欲望と理性あるいは道徳とが拮抗するなかにのみ存在しうる人間らしさを考えさせる。性質的には下品なギャグでしかないにもかかわらず、おそらくはそこに、なんだか不幸には見えないぞ、という印象が宿らされている。
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