マッシヴな暗黒、トリッキーな重低音、プログレッシヴな憂鬱、MIOCENEがついにその全貌を表した。「ついに」といっても、どれだけの人が注目してたかは知らない。が、僕は待っていたのだ、このファースト・アルバムを。そして待った甲斐があった、そう思えるほどの濃い内容で、とても満足な感じである。
はじめてこのバンドの音に触れたのは、たしか数年前の英『ケラング!』誌についていた付録CDだった。そのときはイギリス出身ながらも、グランジィなグルーヴを生かしたヘヴィ・ロックだと思った。そういうアプローチ自体が、ちょうど廃れていた時期だったので、逆に新鮮だった。周りの状況とかにあんま関心ないんだろうな。という思いなしが先にあって、チェックしていたのである。その後しばらくして発表されたEP『REFINING THE THEORY』(00年)を聴いて、ようやく実体が見えはじめた。最短5分、最長10分にも及ぶスパンで繰返される、あまりにも暗く禍々しい呪詛、とくにヴォーカルがつくるメロディは、メイナード・キーナンのそれに良く似ており、トゥールのフォロワー的な部分が強く感じられた。とはいえ、けっして物真似や翻案のレベルには終始していない。バックの演奏の力強さだ。ダウナーなアプローチでありながらも、上昇するエネルギーの放射線が、他に類を見ない不可思議な空間を演出していた。そして続くEP『CELLULAR MEMORY』(02年)である。これが曲者だった。全6曲、ほぼインスト。ダークなムードはそのままに、サンプリングや電子音を多用し、チェロやホーンやクラリネットの生音をぶち込んだ闇鍋。歌入りのものに関しては、トリップホップのヘヴィ・ロック的解釈と言えなくもない、じつに興味深い内容だったのだ。
以上のキャリアを総括するかのようにして成り立っているのが、このファースト・アルバムである。数曲では、大胆なほどにブレイクビーツが導入されており、それが変則的なリズムをこなすバンドのテクニカルなプレイと、妙な具合にシンクロしている。螺旋状にきりもみする浮遊感を漂う。それら以外のナンバーでは、分厚いディストーションのかけられたギターがプレッシャーとなって、こちらに迫ってくる。音響のすべてがエキサイトメントに傾斜している。曲間がほとんど設けられていない作りは、1曲1曲の単位ではなくて、アルバムをトータルでひとつの表現たらしめている。60分ジャストの収録時間には、ラストへと繋がるブランクがやってくるまで、一分の隙もない。余裕がないともいえる。どっか切羽詰まっている。たぶんメンバー自身のなかにあるマテリアルを、余すことなくアウトプットしていった結果、そうなったのだろう。言ってみれば、セルフ・アーカイヴの全面開放である。きっと残しておくものなど何もないのだ。そうして、すべてが葬送曲のような厳粛さでもって響き渡る。
バンドのオフィシャル・サイト→こちら こっち←のほうが役に立つかもしれない
ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年06月09日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック
