ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年05月09日
 『新潮』6月号掲載。伊井直行の短篇『心なき者、恋するべからず』は、簡単にいってしまうと、ふいに一目惚れをした若い男が、その場で、素性も知らぬ女性に告白をしようと思うが、しかし、結局はその行為すら叶わず、結ばれるだとかふられるだとかいった段階に入ることもなく、〈唐突にこの話は終わ〉ってしまう小説で、そうして作中に浮上するのは、題にある〈心なき者〉とは、いったい何を指すのか、どういう意味か、というような戸惑いの感覚である。主人公にあたる藤森工は〈恋というのは飛行中の旅客機からの落下物に頭を直撃されるようなもので、当人の関知しない偶然によって始まるものだと思いこんでいた〉のであるが、あるとき〈うんと年の離れた従妹から「工は心のない少年、心ないんじゃないよ、心のない少年」といわれ〉てしまう。これらふたつの個所は、〈工が恋を空からの落下物と心得ていたのは、前述の通りだが、恋をするときの自身の心の状態については実は自覚がなく、恋が彼の内部に住み着くためには、それが落下物であるにしろなんにしろ、心に空白の部分がなくてはならいという法則の発見には至っていなかった〉と書かれることによって、相関されるわけだが、この作品にとっての重心は、その法則自体にではなくて、〈いや、ついに一生そのような認識を得ることはないのかもしれない〉といわれる、主人公の、つまり認識の部分にかかっているのだと思う。恋愛というものは、まあ、真剣に議論すれば、ひとつに落ち着かないほど、さまざまな定義が提出される類のものだろうけれど、おおよその場合、これは恋だ、と判断しうる主観以外を虚偽に変えてしまう性質を持つ。とはいえ、主観ってやつは、たいがい、いろいろな要素が入り混じり、成り立っているものだ。逆に、それらの要素のほとんどは、主観の外では散らかるだけ散らかっていて、とくに接点を持たなかったりする。工は、一目惚れをする直前に、以前に飼っていたアルフレッドという犬のことを思い出す。このアルフレッドに関する挿話は、読み手からすると、いっけん、どういう役割を持っているのか、考えあぐねる。だが、この挿話がなければ、作中人物の主観が、その恋を見つけるに至らなかったことだけはあきらかであり、こちらの与り知らぬ、偶然の結果か、それとも法則の裏でなのか、ともあれ間違いなく、何かしらかの必要性を帯びているのである。

 『愛と癒しと殺人に欠けた小説集』について→こちら
 「ヒーローの死」について→こちら
 『青猫家族輾転録』について→こちら 
 「ヌード・マン・ウォーキング」について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(07年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。