ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2014年11月20日
 ANGEL VOICE 40 (少年チャンピオン・コミックス)

 この最終40巻には見開きの2ページを丸々使ったカットが三箇所ある(三箇所しかない)のだが、まずはそこから話を広げていきたい。なぜなら、それは古谷野孝雄の『ANGEL VOICE』というマンガにおける感動や説得力が、優れた構成や場面の作り方によって支えられていることの確認になりうるからである。

 一箇所目と二箇所目は対になっている。特筆すべきは一箇所目の見開きの2ページであろう。高校サッカー選手権千葉県予選決勝、市蘭(市立蘭山高校)と船和学院の試合は、激しい競り合いの末、とうとうPK戦にまでもつれこんだ。しかし、PK戦でも〈先に蹴る船和学院が決め・市立蘭山がすぐそれに追いつく〉という〈まるで試合の再現を見ているよう〉な展開が繰り広げられ、優劣のつかぬままに5人目の順番がきてしまう。ここで主人公たちのライヴァルである船和学院の5人目を任せられたユゥエル・カールソンのキックが、一箇所目のカットにあたる。

 文字通り、終盤のクライマックスである。普通なら主人公たちの側に(貴重な)見開きの2ページが割かれてもよさそうなものだが、あえて宿敵であるチームのプレイヤーに焦点が絞られていることに注意されたい。これはこのキックが試合の結末、ひいては物語の全体にとって、いかに重要なのかを示している。作品の文脈において、単に見栄えのするカット以上の意味があるのだ。そして、既に述べた通り、それは二箇所目の見開きの2ページと対になることで、さらなる効果を上げることとなる。

 二箇所目は、そのユゥエルのシュートの直後、市蘭のキーパーである所沢均が横っ飛びをし、ボールを止めた瞬間を描いたものだ。ここまでのPK戦で、所沢は船和学院のキックに反応しながらも、あと少しだけボールに届かなかった。それが一箇所目の見開きの2ページを通じて、このシュートがどれほど重要な局面なのかを知らしめる中、ついにゴールを守りきるのである。ユゥエルのキックに象徴されているのが、船和学院の側の期待の大きさであるとすれば、所沢のセーヴに象徴されているのは、市蘭の側の期待の大きさであろう。船和学院の選手たちの表情に明らかなように、一箇所目のカットと二箇所目のカットは対になることで、正しく一つの文脈を持ちえているのである。

 やっとである。PK戦になっても〈先に蹴る船和学院が決め・市立蘭山がすぐそれに追いつく〉という〈まるで試合の再現を見ているよう〉な展開、つまりは船和学院が市蘭をリードし続けるという試合の内容は、ようやく逆転の構図へと至ったのだった。最後のキックを任されたのは、市蘭の成田信吾だ。この最後のキックをどう描くのかに、三箇所目の見開きの2ページが費やされることとなる。

 ユゥエルのカットと同じく、成田のキックを見開きの2ページで描くことも可能だったに違いない。だが、そうした安易さとは異なった段取りを組むことで、ああ、と深く頷かされるまでの感動や説得力をもたらしているところに『ANGEL VOICE』の本質はある。

 ボールに向かった成田を見守る市蘭の選手たち、まさか彼らがお互いに手を取り合う瞬間がくるだなんて。それを誰よりも望んでいたのは、もちろん、マネージャーの高畑麻衣であった。最初に意外な行動をとったのは、馴れ合いとは最も無縁そうな乾清春だったのだが、キャプテンである百瀬宏一の手を払いのけた脇坂秀和の行動には、それ以上の驚きがある。これが何を意味しているのか。察しのついた(勘のいい)読み手はどれぐらいいるのだろう。だが、脇坂が示しているものを市蘭の選手たちはみな、咄嗟に理解するのである。その作中のコンセンサスとでもすべき姿が、三箇所目の見開きの2ページには描かれているのであって、これがもう、言語化するのが不可能といおうか野暮といおうか、とにかくエモーショナルなシーンになっているのだよ。

 ぼろぼろ泣けてきてしまう。泣けるというのは、必ずしも作品の質を保証する評価にはならないのだけれど、『ANGEL VOICE』の場合、それが優れた構成や場面の作り方によって成立させられていることが、三箇所目の見開きの2ページには集約されている。ボールを蹴る間際、成田は百瀬と脇坂のあいだの空白に何を見たのか。『ANGEL VOICE』というタイトルのすべてが、そこでのカットには込められているように思う。

『ANGEL VOICE』とは、おそらく、高畑麻衣の祈りであろう。これは一人の少女の祈りの物語であった。市蘭の選手たちが一様に背負っていたのは、その少女の祈りにほかならない。背負うという。たとえば、ワールドカップ・レベルの物語であったなら、もっと次元の違ったテーマを登場人物は背負うこととなる。しかし、『ANGEL VOICE』が描いてきたのは、それとは規模の異なったテーマや物語でしかないし、実際、全国大会での活躍さえもまったく見られない。だが、一人の少女の祈りがいかに実を結んだのかだけはほとんど完璧に描かれている。

 高校サッカー選手権千葉県予選決勝の行方までが『ANGEL VOICE』の物語にとって本編だったとすれば、高校を卒業した脇坂の進路はエピローグに位置づけられる。そこでの脇坂とサッカー部の顧問である黒木鉄雄のやりとりは、非常に印象的だ。

 小学校の教師になることを決めた脇坂に黒木が問うのは、やはり、背負うということである。〈オレは過去にたくさんの人に迷惑をかけ・たくさんの人を傷つけてきた・そんなオレに教師になる資格があると思うか〉と尋ねてくる脇坂に、黒木は〈お前の考えだと…… 過ちを犯した生徒に絶望しか与えない・これから先もずっと背負っていかなきゃいけないものもあるだろう・だがそれは…… これから先にやるべきこととは違うぞ〉と告げるのだ。

 このくだりは不良少年が更生するタイプのフィクションに寄せられがちな批判(不良少年に甘すぎるのではないか等)への回答として過不足がないのではないか。他方、このくだりは脇坂にとって、市蘭のサッカー部が高畑麻衣の祈りを背負った物語であったとしたとき、卒業したあとの進路は(高畑麻衣の存在を含め)自分の過去を背負うという物語に推移していることを教えている。もしも『ANGEL VOICE』が泣けるとしたら、それは単に悲しみが描かれているためではない。その悲しみが無駄に終わらず、前向きな情熱に繋がっていくことの軌跡を、優れた構成や場面によって見事に証明していく。感動や説得力に変えているので、あたたかい涙がこみあげる。

 38巻について→こちら
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