ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年05月30日
 ぜんぶで6編収められている。書き下ろし以外のものは、すでに読んだことがあるのだけれども、そのなかで改めて好みだなと思ったのは「慾望」であった。しかし「慾望」は発表された当初から、文学誌の文芸時評などで評価が低かった覚えがある(もしかするとネット上でもそうだったかもしれない。ここでは『文學界』の「新人小説月評」を引こうと思ったのだが当該号が見つからなかった。たぶん04年2月号かな。見つかったら追記するかもです)。それらの評が言わんとすることはわからないでもないのだけれども、しかし、である。僕のようなヘボ読者にしてみると、やっぱりよろしいではないか「慾望」は、という気がしてくる。

 武装した4人の少年少女が、高校を占拠し、同級生たちを無差別に殺戮してゆく「慾望」における主題は、ラスト近くで登場人物のひとりが口にする次のような台詞にすべて、集約されているといってもいい。〈僕たちはそうなんだから、これはもう仕方ないじゃんか〉。このような言葉は、場合によると「僕たち? それはいったい誰と誰と誰のことだよ?」とか「そうなんだから? それはいったいどのようなこと?」とか「これはもう仕方ない? なぜそれは仕方がないのか?」とかいった問いかけを召還してしまう、が、しかし、ここで少年や少女たちを駆動させているものとは、そういった反証を彼らの側から提出すること自体の拒否なのである。作中、ひとりの女教師が彼らに対して執拗な説得を試みる、彼女の言い分をひとまとめにするのであれば、次のようになるだろう。私は人を殺してはいけないと言っている、けれども、あなたたちは聞き入れない、もしも、あなたたちが自分たちを正しいと思うのであれば、私の主張に対して反証(理由もなく人を殺す理由を提出)しなさい。と、しかし、それは見当違いの大暴投であり、当然のように、両者のギャップを埋めはしない。むしろ浮き彫りにしかしない。なぜならば完全な認識の違いは、ディスコミュニケーションすらも成立させないからである。つまり、「慾望」に映し出されているのは、理由もなく人を殺す人間の内面(内面のなさ)ではなくて、そうした認識の違いがどうしてもこの世には存在してしまう、という事実のほうであり悲哀なのだ。そのへんは、たとえば先行する世代の作家であり、やはり少年たちの「死」へ向けられるアパシーを扱った篠原一の『アウト・トゥ・ランチ』や黒田晶の『メイド・イン・ジャパン』あたりと読み比べてみると、わかりやすい。

 ところで。僕は先に「僕たち? それはいったい誰と誰と誰のことだよ?」と書いたが、そういえば佐藤友哉の小説には、この「僕たち(ぼくたち)」といった単位が頻出する。この本でいえば、「大洪水の小さな家」「慾望」「子供たち怒る怒る怒る」の3作品、そのハイライトにおいて、まったくの主語として機能している。もちろん物語の筋だけをみると、その「僕たち」がどの登場人物とどの登場人物とどの登場人物とを指しているのかは、容易に特定できるのだけれども、そういった指示を代替するためにのみ、現れているわけではないのだろう。それが作者の意図によるものであるかどうかはわからないが、ひとつには、読み手自身を「僕たち」という語に含ませることによって感情移入をもたらす装置として働いている。もうひとつには、もしかすると同じことなのかもしれないけれど、こっちとあっち的な対局の位置に、立つべきサイドを割り振る、そういう役割を果たしている。ある意味では、他者(世界)と主体(僕)の関係性をシンプルな二項対立の様式へと還元するのである。要するに、敵と味方の構図だ。が、しかし重要なのは、なぜ「僕」という個体ではなくて、「僕たち」という複数人を表す語になるのかといった点で、そこいらへんは、「僕たち」という匿名性のなかに隠れてしまう(溶け込んでしまう)「僕」という主体の弱さが、はからずもダイレクトに反映されているのではないか、という風に考えられる。

 「リカちゃん人間」では、そのことが、あるいは逆の事実として、裏返っている。書き下ろしである「生まれてきてくれてありがとう!」と「リカちゃん人間」は、両方の作品ともに、佐藤友哉得意の、いわれのない不遇に主体が曝されてしまう、といった内容をとっている。が、女の子の人形を雪に埋もれさせ遊んでいた6歳児が突発的な事故により人形と同じ境遇に置かれてしまう「生まれてきてくれてありがとう!」のほうは、文字どおり「いわれのない」状況でそうなってしまったのに対して、ありとあらゆる種類の凌辱が中学生の少女に襲いかかる「リカちゃん人間」のほうでは、さまざまな場所に人間の善意や悪意が介在している。しかし、誰ひとりとして名前を持っていないという意味で、じつに匿名的である。けれども、そうした匿名の人々が連鎖反応のように次々と死んでゆくなか、ワンマン・アーミーとして戦いを決意する少女だけが、ただひとり、他の者からは名前で呼ばれていたのだった。

 わ、だめだ。うまく書けてねえ。これ、いつか「はてなダイアリー」のほうでまとめ直す予定です。

 小説「子供たち怒る怒る怒る」単体についての文章は→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書。
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