ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2014年07月06日
 なにわ友あれ(29) (ヤングマガジンコミックス)

 掲載誌の『ヤングマガジン』で最終回(30号)を迎えたのに準じ、コミックスの方でもクライマックスに向かいつつある『なにわ友あれ』である。が、最終段階における総括として本作の特徴を大きく三つ挙げられるように思う。一つは、これが木尾士目の『げんしけん』に描かれていると覚しきオタク・サークルの裏面であるようなコミュニティを題材にしていること。不良、走り屋、今日では肉食系と喩えられるだろう若者の集団をモデルにしたマンガとなっており、シリアスなパートのみならず、ギャグのパートもそうしたイメージに由来している。

 もう一つは、作者である南勝久の実体験をベースにしていながら、あたかも架空の戦記が展開されているかのような触感を持っていること。もちろん、作者の実体験を担保にすることで(90年代の初頭を背景にした)物語にリアリティが付与されているのだが、作品の構造を見る上では『機動戦士ガンダム』にも似た架空の戦記のダイナミズムが物語のなかに時間軸をもたらしているのは間違いない。南は『機動戦士ガンダム』が好きだと公言しているし、実際に『機動戦士ガンダム』の引用を『なにわ友あれ』に盛り込んでいるけれど、前作にあたる『ナニワトモアレ』をオリジナルの『機動戦士ガンダム』になぞらえるなら、『なにわ友あれ』は『Zガンダム』に位置づけられる。『ナニワトモアレ』の主人公であるグッさんをアムロ・レイとするのであれば、『なにわ友あれ』の主人公であるテツヤはカミーユ・ビダンの役割だといえる。あるいは『ナニワトモアレ』と『なにわ友あれ』をセットで考えるとき、それは『機動戦士ガンダム』から『逆襲のシャア』までの成り行きに相応する。要するに、アムロ・レイであるグッさんの引退が同時にシリーズの完結となっているのである。

 三つ目は、一つ目に述べた点と関係しているのだったが、主人公が他の男に恋人を寝取られる(所謂NTR)タイプのストーリーになっていること。で、それは『ナニワトモアレ』と『なにわ友あれ』の双方に共通している。過程や結末は異なれど、テツヤの恋人であるナツが(読み手の目からすると)非常に呆気なく他の男に転んでしまうのは、グッさんのケースの繰り返しであろう。主人公に感情移入するとしたら、寝取られてしまった境遇とスケベなシーンは、ことさらエグいともいえる。しかし、繰り返して描かれているということは、それが作者の趣味でなければ、作品にとって必要であり、不可欠な要素にほかならない。

 以上の三つを並べてみるとき、すべてが現代における男性性の発露と問題にかかっていることがわかる。ある場合には、男性性の困難は(まあ半ばギャグではあるもの)直接インポテンツのクライシスとして現れている。そこにあるのは70年代や80年代のフィクションに顕在していた「硬派」の肖像とは違う。にもかかわらず、「男らしさ」とは何かを問うような(常に問わざるをえないような)態度なのであろう。いずれにせよ、「男らしさ」であるようなプライドをかけ、もはやそれ以外の理由はないとすらいえる抗争に拍車がかかっていくのが、この29巻だ。登場人物たちが口々にする「伝説になろうぜ」という欲望は、その伝説が同じ価値観を共有するコミュニティの規模に比例するかぎりは、正直なところ、子供じみているし、他愛のないものでしかない。だが、そうした欲望自体は、もしかしたら普遍的なものであるのかもしれないことが、男性性のテーマとともに浮上してきているのだった。

 余談(どうでもいい話)だけれど、ここでパンダが発見したナツのパンツが後々の伏線だったとは。いや、本当はパンダの残念さ加減も『なにわ友あれ』の注目すべき箇所ではあるのだが、詳しく触れてあげない方が彼のためという気になってしまう。

 12巻について→こちら
 10巻について→こちら
 9巻について→こちら
 8巻について→こちら
 7巻について→こちら
 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 1巻について→こちら 


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