ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年04月26日
 キャットストリート 6 (6)

 ひとつの微妙な関係の変化が、べつのひとつの関係を、決定的に、違えてしまうことがある。かくして、思い遣る気持ちのこんがらがった結果、浩一と玲のふたりを同時に失ってしまった恵都は、彼女の通うフリー・スクール「エル・リストン」のスクール長からかけられた〈――その幸福はいつも他人から与えてもらっている幸福だから揺らぐんです / 君自身がつかまないと誰をもそれで包んであげられない / ここに通う人たちは普通の子より持ち物がひとつ少ないんです / でもそのかわり人が持たないものを持っている〉という言葉をきっかけに、ふたたび前を向いて、歩き出す。自分にしかできないことで自分を試そうとするかのように、女優としての復帰を志すのだった。と、そうした成り行きでもって、神尾葉子の『キャットストリート』は、この6巻から、本格的に、芸能界を生きようとする少女の物語へと移行しているのだが、たとえば、はじめての映画出演における主演女優とのやりとりや、かつての親友であった奈子と友情を復活させるなど、他人との協調によって成長を描く、といった本質の部分に変わりはなく、そして、その過程のなかで恵都が獲得した明るい表情に、とても励まされる。彼女には、たしかに一種の天才性があるのだけれども、それをメインのテーマとしては扱わず、あくまでも作品の輪郭をかたちづくるための補助線に用いることで、特別な業界での才能ある人間によるサヴァイバルとは、根本的に異なった体の内容が仕上がっているのであり、その手つきの先に見えてくるものこそが、先に引いた〈ここに通う人たちは普通の子より持ち物がひとつ少ないんです / でもそのかわり人が持たないものを持っている〉という台詞の、物語のレベルにおける体現に他ならない。したがって、恋愛の要素も、この段階では、二次的なものに止まってしまっているが、そのことに関しては、次巻以降に、また何か展開がありそうな流れではある。それにしても、オーディションの場面でさあ、主人公に意地悪をする女の子とか、こういう、読んでいるこちらが思わず赤面させられるほどに見え透いていながら、それでもハラハラとさせられる、つまり古典的な少女マンガの本領とでもいうべき部分をこしらえさせたら、この作者はやっぱり別格なんだよな、と感心する。

 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1、2巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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