ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2014年04月18日
 俺の心臓は彼女にしか撃ち抜けない (小学館文庫)

 西森博之は、本来はマンガ家だが、既に『満天の星と青い空』という小説がある。それ以外にも『道士郎でござる』のワイド版に『エリカの城』という小説を発表していたわけだけれど、まとまった作品としては、この『俺の心臓は彼女にしか撃ち抜けない』が第二作目にあたるだろう。『満点の星と青い空』の基本的なアイディアは、現在『週刊少年サンデー』に連載されている(自身が原作をつとめる)『何もないけど空は青い』に流用されており、それは要するにポストアポカリプスものに少年マンガのテンションをミックスしたものであるし、本格派のSFであるよりは、文体を含め、ライトノベルのスタイルに近いと見なせるものだったと思う。そして、ライトノベルのスタイルに近い点に関しては『俺の心臓は彼女にしか撃ち抜けない』も同様である。

 主人公の杵屋孝志は二次元の女性にしか興味がないため、同級生から「アニオタ」と呼ばれている。その彼が高校の帰り道に立ち寄った神社で、呼吸を忘れるほどの美少女と出会い、それと同時にとある天啓を授かったことがすべての発端であった。巫女の格好をした美少女、霞は言う。「あなたは神性力を持つ無敵の超人、神選者になりました。どのような望みも叶えられるでしょう」と。事実、孝志はどのような望みも自力で叶えられるほどに強力な肉体を得るのだった。が、当の本人は目の前に現れた美少女の方が奇跡だと思っていて、世界征服やヒーローではなく、ただ霞とともに平凡な日常を送り続けられることを願うのである。霞に自分のことを「お兄様」と呼ばせて喜ぶ程度の恩恵で満たされていた。しかし、超人に選ばれたのは孝志だけではなかった。同時期に神選者となった四十七歳のサラリーマン、加戸哲文が欲望のままに力を暴走させ、日本中を混乱させていったせいで、ついに孝志は加戸と対決せざるをえなくなってしまう。

 ライトノベルのスタイルに近いと述べたけれど、ここ最近のライトノベルの読み手からすると、作品の結構はいくらか古びて感じられるのではないかというのが正直なところである。なぜ孝志が神に選ばれたのか。孝志を選んだ神は誰か。神が美少女に与えた役割は何か。こうした問いがバック・グラウンドには用意されているのだが、それはメタ・レベルの存在を織り込み済みにし、物語を機能させるための手段でしかなく、仕掛けとして凝っているというより、ゲーム的なリアリズムを持ったフィクションにお馴染みのパターンの一つであろう。また、アニメ・オタクを主人公に設定しているものの、「妹萌え」といった今日において一般化された特徴を負っているにすぎず、作中で言及されるのもせいぜいが『ドラゴンボール』や『ジョジョの奇妙な冒険』、『未来少年コナン』等であったりするあたり、まあ大した問題ではないのかもしれないが、多少オールドスクールな印象をもたらしてしまう。

 ただし、孝志と加戸の対照は、所謂「俺TUEEEE」型の万能感をある種のツールに見立てたとき、いかなる使われ方をする(いかなる人間に使われる)のであれば、幸福に繋がるのかを探り探りするような止揚であって、それがエスカレートするのにつれ、ドラマもぐいぐい盛り上がっていく。残酷な面をより残酷にし、コミカルなパートをよりコミカルにしながら、単に美少女といちゃつきたいだけだったお話が、いつしか少年性の気高いロマンとエモーションとを獲得するのだ。西森博之のマンガのファンならわかるだろう。暴力によって輝かしい翼を折られ、窮地に立たされた主人公たちが、持ち前のガッツと理性とで起死回生の逆転劇を繰り広げるあれである。が、全編を通じ、説明と描写を混同しているせいか。『満天の星と青い空』と同じく、ああ、これ、マンガで読みたかった、という部分に残念さがある。

 『満天の星と青い空』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(2014年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック