ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2014年03月28日
 Bread&Butter 1 (マーガレットコミックス)

 芦原妃名子は、実にメロドラマ的であった『砂時計』にせよ、サイコ・サスペンスへ近寄った『Piece』にせよ、家族や他の人間との関係(あるいは原初であるような体験)によって知らずのうちに痛手を負っていた者の欠落が一つのテーマとなっていたといえるし、それはこの、はじめての集英社での連載となる『Bread & Butter』についても共通している点かと思われれる。

 12年間の教師生活にピリオドを打ったヒロインの柚季は、まだ34歳の独身である。しかし、次の目標もなく、思い立って結婚を望むのだったが、相談所で紹介された男性とはことごとくウマが合わない。自分が悪いのか。落ち込んでいたとき、パン屋を兼ねた文房具店を訪れた柚季は、そこの主人、原洋一の態度に救われたような気分になり、勢いにつられて、まさかプロポーズの言葉を口走ってしまうのであった。

 39歳の男性に年下の女性の方から求婚するというコミカルな展開を『Bread & Butter』の1巻は、まず最初に描いている。アラサー、アラフォー、転職、婚活等の現代的なトピックをフックにしながら物語を立ち上げているわけだけれど、本題はむしろその先にあるものを探るかのような手つきのなかにこそ現れている。柚季の要求=プロポースは、洋一がほとんど無条件でそれを受け入れたことから、難なく叶ってしまうのである。

 さしあたり読み手は、柚季が何者なのかをあまりよくは知らない。洋一が何者なのかも知らされてはいない。作中の柚季と洋一に関しても、お互いが何者なのかを知っているとは言い難い。この段階で動かせることができるのは、運命と呼ばれる以前の偶然、偶発性であり、出会いのみであろう。そして、その偶発性を通じ、柚季が何者なのか、洋一が何者なのかが徐々に明かされていく。柚季と洋一とがお互いにお互いは何者なのかを知っていくことになるのだ。

 ところで『Piece』では、こうと信じていたはずの人物が別の何者かであるのかもしれない可能性によってミステリが作り出されていた。それは今まで積み上げてきた自分の経験に疑いを持たせ、自身の現在をも見つめ直させるものであった。『Bread & Butter』でも、同じく登場人物たちの過去と現在とを参照しながら(参照しなければならない必然を物語に含ませながら)、しかし「今まで」積み上げてきたというより「これから」築き上げていくに違いないプロフィールや他の人間との関係に大きく軸足が置かれている。

 印象的なのは、幼少時の体験が小さなトゲのようにもたらした傷を洋一との関係によって治された柚季が〈記憶が上書きされていく / 優しい方向に〉と感じ入る箇所である。この場面は、洋一が何者なのかは定かではないとしても、なぜ柚季が洋一を選んだのかの理由を暗示しているといえよう。つまりはラヴ・ロマンスとして見られるパートのキーでもある。

 どうして洋一がパンを焼くようになったのか。どうして文房具店に高級な設備が整っているのか。はたまた、どうして柚季は小学校の教師を辞めたのか。どうして〈何を間違えたんだろう?〉と一人悩まなければならなかったのか。換言するなら、登場人物たちが何者なのか。何者であったのか。これは作品の語り口(コマ割り)をスリリングにしているある種のミステリにほかならない。だが、自分に居場所を与えてくれる人間が必ずやどこかにいる、そばにいてくれる、という慎ましいドラマが『Bread & Butter』の、物語の温度を規定しているのだと思う。

・その他芦原妃名子に関する文章
 『Piece』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『月と湖』について→こちら
 『砂時計』
  10巻について→こちら
  8巻について→こちら


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