ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年05月24日
 終わりまであとどれくらいだろう―A day in the garden of cherry

 読みはじめは、J文学の流れを汲むスカしたサブカル小説かな、ぐらいに思っていた。セックス、クスリ、ロッキング・オン系のポップ・ミュージック、また作中に登場するアイテムなどを列挙すれば、まあそりゃあその線ではあるのだけれども、いやいや、読み終えてみれば、90年代的な閉塞感や虚無感、倦怠感のなかに停滞するのではなくて、その先へと突き抜けようとする、微かな希望のようなものを、確かな手応えとして含んでいたのだった。

 舞台は、東京で桜の見える場所。登場人物は、基本的に6人の男女で、彼や彼女らが過ごす、とある日の早朝から深夜までを、多少の時差を設けながら、饒舌に語ってゆく。とはいえ、6人はまったくの他人であり、その生活は、すれ違う程度に、挨拶程度に、交差するだけである。そこいらへんは、映画『マグノリア』における物語進行を思い出させる。じっさいに『マグノリア』の名前が出てくる箇所もあるので、作者は、そこから着想を得ているのかもしれない。しかし、この小説には『マグノリア』のラストにはあったサプライズなどは、ない。平凡な一日は平凡な一日に終始するだけである。昨日の続きであるような今日が過ぎ去り、今日の続きであるような明日がすぐに待ち構えている。そのなかで生まれてくる呟きこそが「終わりまであとどれくらいだろう」というわけだ。

 だが、しかし読後には、カタルシスが、ちゃんとやって来る。それはいったいどのようなものか。救いのない一日が、救いのないままで完結する、それでも死なず、生き延びたという、その事実が翻り、錯覚かもしれないけれども、救いがあったものとして、まるで事後承諾のように反映されるのである。それというのは、世界の中心にはけっして存在しえない人々の、叫びというほどにはならない程度の嗚咽を、丁寧にすくい取っていった成果に違いなく、そういう意味では、今日におけるライトノベル的なマテリアルと、真っ向からぶつかり合う作品だろう。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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