ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年04月07日
 ナンバMG5 9 (9)

 中学時代、ただの不良で終わるはずだった剛に、そうじゃない、べつの道があることを教えてくれた同級生関口のエピソードに、思わず涙腺が緩むので困るよ。こういう、くさいが、しかし、いい話をつくれるのが、やっぱり、小沢としおの強さなのだよな、と思う。だいたい、弱い人間に対して、強くなれ、と口にするのは、あまりにも簡単すぎて、もしも、それで何かを言った気になっているのだったら、最初から何も言うべきではない。たとえば、ニュースなどで学校内における虐めが問題になるたび、それこそ、あちこちで議論が活発になるわけだけれども、結局のところ、何十年も同じことを繰り返してんだ。つまり、社会のレベルとしては、一向に改善されない。なので、最終的には、その個人(虐められた当事者)がどう生きる(どう生きた)のか、に話を落としていくしかないのだが、まあ、他人についてあれこれ、事後的に感想や印象を述べることも、あるいは自分はこうだった式の体験談を語ることも、節操なく誰にでもできちゃうので、その手の議論こそが、大勢に愛されているだけのことであろう。さて、『ナンバMG5』の9巻、べつの高校に行っている関口が虐めに遭っている現場を、たまたま見かけた剛は、何とかして力になってやろうとするのだが、しかし、どう声をかけていいものか、そうこうしているうちに、事態は悪化し、関口の精神は追い詰められていく。ここでの肝は、関口が、ケンカに長けたヤンキーの難波へと直截的な助力を求めず、たったひとり、たったひとりだけでも味方がいることに感謝し、励まされ、不条理に耐えてみせる点にある。それはけして、我慢しろ、ということでも、もちろん、強くあれ、ということでもない。剛の仲間になった大丸が、関口の話を聞いて、〈んなヤツよぉ 死ぬ気でかかって一発ブン殴ってやりゃいんだよ ナメられてんだ!〉と提案したことに、伍代が〈それができりゃイジメられてねーよ〉と言うとおりなのである。おそらく、虐めの問題は、たんに暴力の被害のみではなくて、孤独とのセットになっている。そのように考えられるとき、やはり、中学の頃に虐められていた島崎が言うように〈1人じゃないって思えることで…何か…心強いってゆーか〉そういったことが、もしかすると救いになることだってありうるのかもしれない。いつの時代、どの場所にだって、クソみたいな人間はいる。それはもう仕方のないことだ。ならば、せめて、それと同じぐらいは、誰かのため、手を差し伸べ、痛みを庇ってやる人間が、いたっていい。

 8巻について→こちら
 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1巻について→こちら

 1話目について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック