ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年09月30日
 バクト 3―高校生ギャンブル血風録!! (ヤングキングコミックス)

 指切り。指切り。指切り、である。ここでいう指切りとは、なんらかの比喩ではなく、文字通りに指を切断することであって、要するにヤクザのあれ。いわゆる指を詰めるってやつである。志名坂高次の作品においてはしばしば、ある種の通過儀礼としてギャンブルのなかに描かれる試練のことでもある。ああ、主人公の高校生が容易く足の指をちょん切られるという『凍牌』シリーズも倫理観の大変とち狂った展開がすさまじいマンガだが、この『バクト』も負けず劣らず。ニタニタしながら弱者をいたぶるド畜生がえげつない。異常であることを悪びれない連中が突きつけてくる要求は、3巻に入り、よりエスカレートしている。1、2巻はまだ肩慣らしであった。

 自分と同じく(家族のため)莫大な金銭を必要としている同級生の三神をパートナーにして、因縁の裏カジノ、紅龍へ乗り込んだバク(大村獏)は、そこでタイマン式の特殊なルールによる麻雀=紅龍麻雀での賭けを強いられる。苦戦しながら、クセのある紅龍の客を一人、二人とくだしていったバクは、そしてとうとう紅龍を取り仕切る大ボス、岡部との直接対局に漕ぎ着けるのだったが、それはさらなる窮地に立たされることでもあった。勝負の内容は二対二(ツーマン)での紅龍麻雀である。バクと岡部とが差し向かい、三神がもう一つの卓につく。二つの卓は運命共同体なのだが、三神と対局する田村という男がまた、とんだゲス野郎でよ。テレビ等でよく知られる教育評論家なのだけれど、裏では子供の人権なんて知ったこっちゃない。むしろ児童売春に積極的な変態なのだった。バクは当然、三神も絶対負けるわけにはいくまい。しかし、序盤のしくじりからバクと三神は相当苛酷な要求を飲まざるをえなくなってしまう。

 一般的な物語の水準で考えるなら、普通、この程度の(と思わされる)イージー・ミスで主人公は自分の大切な体の一部を失ったりはしないはずだ。使い捨ての端役じゃねえんだから、と。だが、その程度のイージー・ミスであっても主人公の指をちょん切るのが志名坂高次である。しかも一本からはじまって、ついには五指全部を詰めさせられる。そこまでやるかい、であろう。換言すれば、読み手の予断をいとも簡単に裏切っている。予断を裏切ることで、作中の勝負が本来いかにシビアであったかを徹底的に知らしめるかのような効果を引き起こしていく。いや、ごめん。なめていた。バクよ、三神よ、すまない。おまえらがどれだけギリギリのラインに置かれていたのか。おまえらがどれだけ極悪な奴らを相手にしていたのか。フィクションとはいえ、命懸けのシチュエーションを軽んじていたわ。そう、それは決して後には引けないからこそ、正しく命懸けで挑まなければならない場面だったのだ。

 にしたってまあ、ショッキングだわ。先に挙げた指の件はもちろんなのだけれど、それ以上にバクの弟であるナギサがえらいことになっている。昨今、よっぽどじゃない限り、登場人物の不幸なプロフィールに驚かされることはないし、『バクト』に関しては、ある程度の残酷ショーもストーリーの性質上、致し方あるまい。でも、これは久々に引いた。ひいたぞ。そもそもバクが紅龍に乗り込まなければならなかったのは、借金の肩代わりとして父親に売られたナギサを助け出すためであった。紅龍は少年専門の売春宿でもあった。命を奪われるような危ない目に遭ってはいなかったものの、しかし、ペドフィリア的には全然無事ではなかった。変態の玩具として既に仕込まれたあとだったのである。衝撃の事実をあっさり告げる岡部の外道っぷりや、素っ裸にされたナギサを目の前にしたバクの心境を含め、そこでのシークエンスが具体化しているのは蹂躙される者の無力感にほかならない。

 要するに、バクからは(一般的な物語における)主人公としての特権が取り上げられている。あるいは、そのギリギリにまで追い込まれた境遇こそが(ここでは)主人公の特権として与えられているものになっているのだ。誤解があってはいけないが、なにも作者は無力感を中心に描こうとしているのではない。そうではない。そうではないことの証拠として、無力感の真っ只なかにあってさえ、デタラメと敗北だけは絶対に受け入れまいという主人公の意志の方へ、その後の展開はスライドしていくのである。1巻の段階でアピールされていた通り、バクは是が非でもイカサマを許さない。勝利によってイカサマは覆せると信じている。頑ななアティテュードは、2、3巻ときても、まったくぼやけていない。つまりそれは、作者が中心に描こうとしているものが何なのか、はっきりしているということでもあるだろう。

 しかしながら、率直にいって、意志の強さではどうにもならないことがある。意志の強さを通じ、作品のルールやロジックがねじ曲げられてしまったなら、それこそデタラメである。そうした不文律に忠実である結果、バクは大切な体の一部を失わなければならなくなってしまうのだが、五指を失ってもなお、対局を投げ出そうとはしない。勝利を諦めていない。これを不屈の闘志と見るか。常軌を逸していると見るか。判断は人それぞれであろうが、どちらであっても構わない。いずれにせよ、ここからが問題である。逆転の目がないままであったならば、所詮、敗北するしかないのだ。

 志名坂高次のマンガにデウス・エクス・マキナのごとき神の定めが内蔵されているとしたら、それは誰に対しても容赦がない。その意味において、誰に対しても平等である。その意味において、無慈悲な悪魔と変わりがない。根性論も実際にはかなわない。にもかかわらず、バクが命懸けで挑み、掴もうとしているのは、そうした神の定めに根性論は関与できるか(不毛ではないのか)式の可能性であり、回答なのだといえよう。
 
・その他志名坂高次に関する文章
 『凍牌 〜人柱篇〜』3巻について→こちら
 『牌王伝説 ライオン』1巻について→こちら
 『凍牌』10巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
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