ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年07月26日
 もしも、よしもとばなながここで書こうとしたことが、装丁や本文イラストに表されているものと結びつくべきであるのならば、よしもとは、おそらくそれを書けてはいない、けれども、これは、ここ数作のなかでも、とくに突出した内容を持った小説であるように、僕には思えるのだった。
 これまでのよしもと(吉本ではない)が描いてきた女性たちが、あらかじめ何か(たぶん、イノセンスとかピュアネスとか、そういったもの)を喪失している場所からはじまり、再びそれを発見するという過程をとっていたならば、ここでは、それ以前の段階が書かれている、といえる。
 主人公である14歳の少女は、つまり従来ならば、作品の終盤に現われるか、それとも「私」以外の人物に表象されていたものであったが、『High and dry(はつ恋)』においては、間逆の場所に立たされている。それは、未来はうつくしいかもしれないが、しかし同時に、とてもとても過酷なものなのだ、という厳しい言い切りでもある。
 全体のプロットとしては、もはやワンパターンの美学ともいえる、さまざまな葛藤が不意に経験する不思議な夢によって自己解決するというスタイルをとっているが、ストーリーは、そのちょっと先にまで足を伸ばしている。少女は、その夢はただの象徴的な出来事でしかなく、そして、それはたしかに現実とは地続きであるけれども、しかし、べつのレベルで行われているのだということを自覚したところで、小説は、終わる。
 そういったことを踏まえ、僕がこれを優れていると思えるのは、『海のふた』のときの印象とは逆で、ここで登場人物たちは世界をちゃんと対象化し、その上で、そこに内在化しつつある自分という存在を見つめていると感じられるからだ。 

 ほんとうはもうちょい色々と書きたかったのだけれど、とりいそぎ、ここまで。

 あ、それとはべつに。片岡義男のジョン・レノンに関する本(たぶん『回想するジョン・レノン』)を読んでる14歳の少女って!とか、タイトルは、レディオヘッドのナンバーからとられているのかなとか、今回はかなり細部が気になった。ロック・ファンなので。
posted by もりた | Comment(3) | TrackBack(0) | 読書。
この記事へのコメント
あ、春樹の『日々移動する肝臓のかたちをした石』で
トラバさせていただきました、
okadaです。

すごい読書量ですね。
僕は自分ではけっこう読んでると思ってるんですが
数えてみたら週に1冊くらいのペースなんですよ。
もっともっと読みたいんですけどね。

それで読書のコーナーをざーっと見させていただいたのですが、
僕が好きな作家の本がたくさんありました。
春樹もそうだけど、瀬尾さんとか。
あと大きな声ではいえないのですが
福田さんのゼミにいたことがあって…。

春樹の今回の短篇に関する見解は
なるほどと思うし共感できる部分があります。

あ、ちなみにばななのこの本のタイトルは
作者がバンドに承諾を得て
使っていいということで付けたらしいですよ。

トム・ヨークは春樹読んでるみたいだけど
ばななもチェックしてそうですね、なんとなく。
Posted by okada at 2005年05月11日 00:40
ども、トラックバックありがとございます。

>あ、ちなみにばななのこの本のタイトルは作者がバンドに承諾を得て使っていいということで付けたらしいですよ。

そうなんですか。やっぱり。レディオヘッドは聴いている、作中に持ち出す作家はけっこう多いですね。作者がどこらへんに感情移入しているのか、あるいはただ固有名として使っているだけなのか、僕はそういう部分にわりと興味を覚えます。

あ、重複分のコメント削除しておきます。
Posted by もりた at 2005年05月11日 09:40
重複分のコメント削除、ありがとうございました。

映画のタイトルや音楽を記号として持ち出すとき、
やはり作家なら感情移入をしているか、記号として
何かを喚起させる意味を持たせていると思うんですよね。
ただ好きで使うのはちょっと簡単すぎますよね。
僕もそういう部分には気になります。

春樹の短篇のタイトル、「腎臓」をずっと「肝臓」
と間違えていて…。
前のコメントもトラバのタイトルも肝臓になってる。
いろいろとすいません。

ではまた遊びに来ますね!
Posted by okada at 2005年05月11日 13:07
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