ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年07月20日
 爆音伝説カブラギ(7) (少年マガジンコミックス)

 おオオ。まさかのクライマックスっぷりに驚きを禁じえない。驚くほどのまさかとはつまり、佐木飛朗斗が原作を担うマンガでは、同時多発的な物語の拡張が長編としてのまとまりを飲み込んでしまうことがしばしばであって、本来は並行であるはずの時間帯が各々の速度でとりとめもなく引き延ばされた結果、あれ、メインのエピソードは一体どれだったんだろう、あらら、全体を総括するようなクライマックスがこないまま作品が終わっちゃったよ、というふうになるのが通常なのだったが、『爆音伝説カブラギ』はその、クライマックスを欠くことこそが佐木飛朗斗であるような流儀を鮮やかに返上している。佐木ががんばったのか。作画の東直輝がえらかったのか。この7巻に至り、おお、これぞ少年マンガぞ、と思わされるぐらいの盛り上がりを導き出しているのである。もちろん、筋金入りの佐木飛朗斗マニアからすれば、普通の少年マンガに堕したとか日和ったとか言われるかもしれない(いや、さすがにそれはないかもしれない)が、いずれにせよ、こんなにもテンションの高まる展開をまったくシカトすることはできやしねえんだ。

 ほとんど一本道化されたストーリーは、クライマックスの最中、とある登場人物が発した次の言葉によって正しく要約されているといっていい。そう、本来は対立的であった〈“朧童幽霊(ロードスペクター)”の為に“爆音小僧”が“獏羅天”と一緒に“魍魎”と大乱闘やってるなんてよ‥!!〉と。すなわち、てんでばらばらに描かれてきた複数の因縁がここにきてついに一箇所の総力戦へと整合されているのである。主人公が多くの仲間(ライヴァル)を得ながら最大の難敵(ライヴァル)に立ち向かうという展開は、やはり少年マンガならではのマナーを思わせる。前巻(6巻)のヒキに予告されていた“魍魎”と“朧童幽霊”の正面衝突は、圧倒的な数による“魍魎”の前に“朧童幽霊”があっけなく蹴散らされ、“朧童幽霊”の後方から“爆音小僧”が合流してくるのだったが、“魍魎”は“爆音小僧”をも歯牙にはかけない。そこにB・R・T(元“獏羅天”)の残党が乱入してき、彼らに急襲された“爆音小僧”は“魍魎”のトップからさらに引き離されてしまう。このまま“爆音小僧”は“朧童幽霊”とともに敗退するのか。正念場である。あわや危機的状況に陥った“爆音小僧”に意外な助け船が。現“獏羅天”の“三鬼龍”がB・R・Tの残党に対して鉄槌を下しにきたのだった。

 阿丸のピンチに駆けつけた“三鬼龍”かっこいい、であろう。彼らをドーピングにし、“爆音小僧”の体勢を立て直す多美牡も富弥也もかっこいいよな、である。“朧童幽霊”の尊も含め、これまで別個に並べられてきた因縁が、その点と点とが、一つに結びついていくという美しいシークエンスが、血なまぐさいヴァイオレンスを通じて、まざまざと浮かび上がっている。もちろん、中核に存在しているのは主人公である阿丸と“魍魎”の頂上である九曜の対照にほかならない。年上の幼馴染み、九曜のことを阿丸は“キリ”ちゃんと呼ぶ。霧澄が、九曜幸叢のかつての名字だからだ。昔、霧澄幸叢は鏑木阿丸と無邪気に約束しただろう。〈オーシ! 目指すは無敵だ! 超無敵な♪♪〉と。だが、九曜がどれだけ巨大な帝国に君臨していようと、それを前にした阿丸は〈“強力な単車(マシン)”と“超デケエ族”の頭領ン成って‥‥ “他の族”は無視(シカト)こいて踏み潰す‥ そんで“超無敵”に成れたんかよ?“キリ”ちゃん‥!!〉という疑問を突きつけずにはいられない。少なくとも阿丸の目に今の九曜は正しいとは映っていないのだ。

 多少の牽強付会を許されるのであれば、巨大な帝国の頭領である九曜は現代アメリカの比喩として解釈できる。このとき、先に引いた阿丸の主張はアメリカ主導のグローバリゼーションに向けられたアンチテーゼになりうるのではないか。過去、所十三と組んだ『疾風伝説 特攻の拓』や桑原真也と組んだ『R-16』、あるいは東直輝との前々作にあたる『外天の夏』において、比較的明らかにアメリカをはじめとした外国と日本との綱引きを登場人物たちのバック・グラウンドに設定していた佐木飛朗斗である。とりわけ『R-16』と『外天の夏』では、グローバリゼーションの権力や資本に固執した大人たちの姿が内容それ自体に暗い影をもたらしていたわけだけれど、『爆音伝説カブラギ』には、あまり大人は出てこない。出てきたとしても重要な役割を負ってはいない。そのかわり、子供たち、不良少年たちの寓話であるような側面が濃くなっていて、むしろ現実の諸問題がアレゴリーであることの強さをおおもとに引き寄せられている印象だ。もちろん、大人が出てくる出てこないの違いは掲載がヤング誌か少年誌かの判断によっているのだろう。

 少年誌のメソッドで『爆音伝説カブラギ』が描かれている以上、それが少年マンガに如実なカタルシスを全開にしていくのは必至であった。警察を斥け、一般車両を巻き込み、国道を堂々と制圧する“魍魎”のパレードは、当然のこと、ありえない。ありえないし、リアリティがないと揶揄されるのとは位相の異なったリアリティを備えている。この場合のリアリティとは、要するに〈“強力な単車(マシン)”と“超デケエ族”の頭領ン成って‥‥ “他の族”は無視(シカト)こいて踏み潰す‥ そんで“超無敵”に成れたんかよ?“キリ”ちゃん‥!!〉という疑問を阿丸から引き出すのに相応しい説得性にほかならない。「超無敵」とは、強権の発動を指していたのか。自分のルールによって他を圧倒することであったのか。阿丸がよく知る“キリ”ちゃんならこう言っていた。〈数集めて 年下狙って ヤバくなんと逃げちまう‥ ンなクソヤロウ共に負ける訳いかねーだろーが♪♪〉と。しかしその「クソヤロウ」と今の“キリ”ちゃんはどこがどう違うのか。こうした疑問が阿丸を巨大な帝国に立ち向かわせているのであって、以下のような二の句を継がせていく。〈爆音の十六代目が“クソヤロウ”に負ける訳にはいかねーからよ‥!!〉

 確かに、九曜には九曜の苦悩と思惑があるには違いない。天目駆と九曜礼奈の死が彼にいかなる影響を及ぼしているのかはわからない。が、決して不幸と悲劇を望んでいるわけではあるまい。にもかかわらず、九曜と“魍魎”が彼らに満たないマイノリティを容赦なく遮断し、それが阿丸の目に正しいと映らないのはなぜか。まるで解答はそこにはないかのように“魍魎”VS“爆音小僧”“朧童幽霊”“獏羅天”の総力戦は、武力の衝突から単車のスピード・レースへとステージを移していく。九曜のボルドールIIを先頭に。“魍魎”の親衛隊、蝶野の“Z650ザッパー”が。遊撃隊、不破の“XJ400(ペケジュー)”が。阿丸のあの“真紅のCB400F(フォア)”が。多美牡の“Z400FX”が。阿丸のために絵真という少女が陸送してきたZ IIを借り受けた富弥也が。兄である駆の形見“火焔模様(フレアライン)のZX-10”に乗った尊が。それら因縁のマシーンが象徴している通り、各々が負った因縁に決着をつけるべく、加速、団子状態のなかを一気に抜け出すのである。

 おオオ。なんというクライマックスっぷりだ。早々にリタイアしたかと思われていた“蛇破美會”大曽根の復活や悪化していく尊の傷口なども、まだまだ油断のならない要素となっている。独特の絵柄をキープしつつ、所十三や桑原真也の作風をハイブリッドした東直輝も見事である。本題からは逸れるが、コミックスの巻末に連載されている『変格不条理ミステリ! ゴスロリ探偵 巻島亜芽沙の事件簿』も毎回、ばからしくていいんだよな。ニコニコ動画調のコメントを導入したギャグ・マンガはほかにもあるけれど、それが佐木飛朗斗の過剰な様式美とメロドラマにぶっ込まれているところに、タブー破りとも似た痛快さがある。痛快さ、そう、デビュー当初の東には希薄であった痛快さが『爆音伝説カブラギ』の本編にもある。それがいつどこで身についたものか。一概にはわからない。とはいえ、二作、三作と続いてきた佐木とのコンビはターニング・ポイントとして間違いなく無視できないだろう。事実、『爆音伝説カブラギ』では、佐木のキャリアでも稀であるようなクライマックスを具体的なレベルでコマに落とし込み、これぞ少年マンガぞ、と思わされるぐらいの盛り上がりを導き出しているというのは前述した。

 6巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

・その他佐木飛朗斗・東直輝に関する文章
 『妖変ニーベルングの指環』1巻について→こちら
 『外天の夏』
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら

・その他佐木飛朗斗に関する文章
 『疾風伝説 特攻の拓 外伝 〜Early Day's〜』(漫画・所十三)
  1巻について→こちら
  2巻について→こちら
 『爆麗音』(漫画・山田秋太郎)
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら  
  1巻・2巻について→こちら
 『パッサカリア[Op.7]』について→こちら
 『[R-16]』(漫画・桑原真也)12巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
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