ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年07月18日
 新潮 2013年 08月号 [雑誌]

 『新潮』8月号掲載。佐藤友哉の『ベッドタウン・マーダーケース』は、あれ、この題名に見覚えあるな、と思っていたら、ああ、そうか、以前発表された『ベッドサイド・マーダーケース』の極めて直接的な続編になっているのだった。前作の語り手=主人公とコンビを組んでいた男、六条がここでの語り手=主人公であり、本作のなかで〈おれと電卓は三年間にもおよぶ憂鬱な大冒険のすえ、『連続妊婦首切り殺人事件』の解決まで、あと一歩というところにせまった〉と語られ、しかしそれは〈電卓の物語なので、ここではくわしくは語らないが、そういう『枕元の物語(ベッドサイド・マーダーケース)』を、かつて体験した〉とされるそこから十三年後、『連続妊婦首切り殺人事件』の真犯人は、より大規模でいて無差別な殺戮を仕掛けはじめていた。これに対し、前作の語り手=主人公と分かれたあとの六条が『被害者の会』と名付けれらた組織とともにレジストしようとするその苦闘がつまりは『ベッドサイド・マーダーケース』にあたる。

 題名の「マーダーケース」が「ベッドサイド」から「ベッドタウン」へとスケール・アップしている通り、作中の事件も『連続妊婦首切り殺人事件』という特定少数を狙ったものを遙かに上回る。一個の町を崩壊させるほどの『ジェノサイド』に発展しているのだったが、物語それ自体はあくまでも語り手=主人公である〈おれ〉に寄り添っている。この点において『ベッドサイド・マーダーケース』と『ベッドタウン・マーダーケース』の基調に決定的な違いはないと思う。無論、荒唐無稽なフィクションであり、ノワールでありながら、一種の災害小説であって、原発小説の亜流であるような背景を持っているのも同様だ。あらましを取り出すのであれば、大きく二つのレーンがある。二つのレーンが、パラレルに進行し、ときには交差することで、『ベッドタウン・マーダーケース』とは一体何事なのかが明かされてく。二つのレーンのうち、一つは父子の再会と妻子を殺した人間への報復という、要するにプライヴェートな側面を負っている。もう一つのレーンは抑圧的なロジックによって構成されている(のではないかと信じられている)この世界の再編という、著しくプライヴェートをオーヴァーした目的に沿っている。運命(あるいは遺伝や環境)に束縛された者の個人的なテロルは、初期の作者にも見られたモチーフであるし、徹底管理された社会を意味する『文明更新(アップデート)』や『ジェノサイド』による不穏な成果は、伊藤計劃の『虐殺器官』や『ハーモニー』を通過してしまった読み手の多くにとっていささかアブストラクトであるかもしれない。したがって、目を引くのはやはり語り手=主人公である〈おれ〉の情緒にほかならず、〈おれ〉の情緒の深奥に集約されていくような物語それ自体になるだろう。

 一言でいうなら、エモい。作中の歳月を踏まえるなら、その〈おれ〉である六条はよっぽどのおっさんになるのだけれど、表向きはシニカルであったり、達観を気取ろうとする口ぶりが潜在的にナイーヴであることの翻しであるよう思われてくるためだ。そしてそれはたぶん、ハードボイルドや冒険小説の主人公が、ニヒルな態度の裏側に淡いロマンティシズムを隠し持っているのとは本質において異なる。行為のレベルでは同様であろうと、そのようなロマンティシズムに駆動されているのかもしれない自分自身を六条ははっきり蔑視しているのである。ロマンティシズムばかりではない。結局のところ、彼は何も信じていない。自分の傍に置かれた人間も体験も。何も信じられないでいるのである。この何も信じないがゆえにありとあらゆる表明にノーを突きつけることができるという態度は、必ずしも根拠を必要としないでいられる。非常に子供じみてもいる。この意味でナイーヴと評するに相応しいのだったが、逆説的に六条の表明も何ら説得性を有しない。決して誰にも届かない。そうした人物が家庭を築くというのがそもそもの誤りであり、こうした禍根はしばしば亡き妻と寝室の幻影となって彼を糾弾する。

 六条はこの世界に見捨てられた人間である。だが、彼のなかには自分こそがこの世界を見捨てた人間なのではないかという錯覚がある。六条が罪悪感と呼ぶもの、それはもしかしたら単なる快不快の揺らぎでしかないし、とどのつまりは錯覚を正当化すべく、謎めいた陰謀論に関わろうとしているにすぎない。クライマックスにさしかかり、とある人物に「この世はあなたの意志とは無関係に動いていますから」と言われた六条は「わかっちゃいるさ。そうだとしても、関与したいんだよ。だまって見ていることはできないんだよ」と反論する。しかし、結末における六条の独白を見られたい。ああ、〈真相に達してもなお、おれはこのざまだった。追い求めていたものを見つけても、世界の仕組みとやらを垣間見ても、一歩もすすんでいないように感じるのはなぜか。すべてが終わったというのに、明日も世界が敵でいるような気がするのはなぜか〉と述べられるそれは、やはり、非常に、エモい。設定の規模では、人類全体を襲った悲劇を『ベッドタウン・マーダーケース』を題材としている。そこから社会的なテーマを見出してもよい。とはいえ、物語の単位で考えるなら、あくまでも悲劇は個人としての〈おれ〉によっている。

 『ベッドサイド・マーダーケース』について→こちら

・その他佐藤友哉に関する文章
 『今まで通り』について→こちら
 『333のテッペン』について→こちら
 『世界の終わりの終わり』について→こちら
 『1000の小説とバックベアード』について→こちら
 『子供たち怒る怒る怒る』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(2013)
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