ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年06月09日
 エイト(2) (エイト (2))

 いやもちろん、『あいつとララバイ』や『シャコタン☆ブギ』にもロックン・ロールやブラック・ミュージックは流れていたが、これまで主にモーターサイクルあるいはモータリゼーションを題材にしてきた楠みちはるが直接的な音楽マンガに挑戦するというのは最初驚きであった。ここにきてどういう路線の変化かと思われた。しかし『湾岸ミッドナイト』そして『C1ランナー』と、この『エイト』を通して見るかぎり、基本は同様のテーマを描き続けているよう。それはつまり、国産(日本製)であることの歴史は継承できるか、にほかならない。『湾岸ミッドナイト』や『C1ランナー』において国産車と国産のマス・メディアとして現れていたものが、『エイト』では国産のロック・ミュージックと国産のマス・コミュニケーションに移し換えられている(だけ)だと考えられたい。あくまでも国産でしかありえない我々が本当はどこからやってきたのか。なおかつ、どこへいこうとしているのか。こうしたヒストリーへの問いを内蔵した現代というポジションが、かつては巨大な産業であり、ポップ・カルチャーであった音楽に今も関わる中年たちと少年の姿を通じ、ストーリー化されているのである。

 その少年、エイトは父親を知らない。父親の鮎川和人は80年代の伝説とされたバンド、ジャガーのギタリストであった。元ジャズ・ミュージシャンの祖父、トミーに育てられ、和人の形見のギターを携えるエイトだったが、父親が誰なのかを知らない。それが高校2年のとき、中学の同級生であるニーナ(新名)と再会、商業高校でバンドを組んでいる彼に才能を見出され、メンバーに誘われることとなる。それまで自宅で一人、誰にも聴かせることなくギターを弾き、満足していたエイトだったけれど、ニーナやバンドの熱に押されながら練習に参加し、ついには文化祭にステージに立ち、大勢の人前でプレイをする機会を得るのだった。というのが、1巻から2巻までのあらすじである。父親を知らないエイトが、父親と同じくギタリストへの道を歩みはじめる。これはいわずもがな、自分のルーツに近づいていくというプロセスであって、物語であろう。祖父が黒人であること、そして父親の形見であるギターが国産のもの、フェンダー・ストラトキャスターのコピーだという設定は、明らかにロック・ミュージック全体の歴史や、日本人と輸入文化であるはずのロック・ミュージックとの歴史を踏まえたものだ。伝説のマシーン、海外からやってきたアイディアを日本人が国産するなかで伝説となったマシーンを継承するという部分で『湾岸ミッドナイト』の「悪魔のZ」と『エイト』の「ドラゴンギター」は同じ役割を担っている。

 音楽マンガ、もしくはロック・マンガが大メジャーなジャンルとなった昨今、楠みちはるのアプローチはいくらかクラシックであると思う。たとえば『BECK』『NANA』『けいおん』『カノジョは嘘を愛しすぎてる』以降の作品でありながら、それ以前の青春像をあたかもトレースしているみたいである。無論、これは楠の年齢、年代的な問題でもある。しかし一方で、00年代や2010年代といった範囲で区切れる部分を現代としながら、そのイメージであったり気分を切り出し、スケッチしているのではなくて、数ディケイドにまたがるようなもっと大きめの範囲を現代としながら、総体的なヒストリーのダイジェスト化をテーマとしているのが『エイト』であるとすれば、こうしたアプローチ以外にはなかっただろうと感じられる。実際、作中に登場するレパートリーもビートルズであったり、ローリング・ストーンズであり、レッド・ツェッペリンであったりと古い。が、その古さを今日に奏でることが、要するに歴史を描くことと同義になっているのである。『エイト』における現代史、日本史においてキーとなってくるのは、やはり国産の「ドラゴンギター」であって、ジャガーの元メンバーである大物歌手、松永恭也の往年のヒット曲「ラブ・ユー」だといえる。

 果たして〈1970年 通販専用モデルとして生まれたフェンダー社のストラトをコピーした安価な国産品 ――だが製作者の志は高く 量産母体となるマザーモデルにとてつもない想いを込めた〉とされる「ドラゴンギター」と〈‥あれは和人のフレーズだ 和人が父であるトミーさんから受け継いだモノ もっというとその向こう ‥トミーさんの父 名ジャズマン ロニー・ピーターソンから流れてきた 音のブラッド(血)だ〉とされる「ラブ・ユー」を正統に継承しうる立場のエイトは何を求めるのか。その姿にはおそらく以下の問いが託されている。そう、つまり、あくまでも国産でしかありえない我々が本当はどこからやってきたのか。なおかつ、どこへいこうとしているのか。エイトがキーを握っているとするなら、ニーナは扉である。一人きりで完結していたエイトの世界を外の世界へと繋げていく扉にほからない。エイトはニーナを通じ、ニーナとのバンド活動を通じ、バンド活動で関わった人々を通じ、不特定多数と向かい合いという意味で、マス・コミュニケーションを成功させていくのではないか。さしあたり、文化祭でのステージはそのことを暗示するかのような一幕となっているのである。

・その他楠みちはるに関する文章
 『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』
  11巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『湾岸MIDNIGHT』40巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
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