ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年03月10日
 『鈴木先生』で一躍ブレイクを果たした(と言ってしまって何ら差し支えはないであろう)武富健治が、ほぼ90年代のあいだに発表した短篇をまとめた作品集『掃除当番』に収められているものはどれも、現在の目からすれば、習作の域に感じられたりもするのだが、しかし、このマンガ家に特有な心理の描写が、その時点ですでに確立されていた事実に、はっとする。ふつう、マンガ表現におけるフキダシ外のモノローグというのは、そのモノローグを所有する人間の内面を担保していると考えられていて、そこで発せられている言葉を読み手が追う行為は、すなわちモノローグを所有する人間の視線で作内の世界を捉まえ、感情に寄り添うことの意味合いが強いわけだけれど、武富のマンガは、そうした手法に安住していない。たしかに、『鈴木先生』や、この『掃除当番』で読むことのできる登場人物のモノローグは、その者たちの心の動きを、隠し立てなく、こちらに伝えてくる。ときに妄想ともとれるそれらは、明け透けでありすぎるほどだ。が、たとえば他のマンガでよく見かけるモノローグの類が、要するに、作品そのものを一人称的な内容にしてしまうのに対して、武富の場合は、三人称的というか、客観に近しい位相を作中から手放さずにおく。それがワン・エピソードの終わりで、いわばオチの効果に転じる。悲劇であるような、ギャグであるような、むろんハートフルというのとは違うし、かといって冷淡だというのでもない、なんとも形容しがたいクライマックスは、おそらくそうして訪れるのである。

 『鈴木先生』第1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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