ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年03月06日
 少年少女漂流記

 もはやネタが尽きたので映画やテレビのドラマは原作をマンガに求めるのだ、という言いはよく聞く類のものだけれども、あんがいマンガだってジリ貧なのではないかしら。安易なコミカライズの、やけに増えたことか。要するに、ジャンルをかぎらずサブ・カルチャーの領域全体に新規のアイディアの生まれる余地がなくなり、まあ下卑たことをいえば、宣伝材料になるようなトピックを絶えず作り続けなければ商売がやっていけないので、あいかわらず飽きられながらもメディア・ミックスは展開されるのだし、最近ではコラボレーションなる体のいい言葉が流行るのだ。いや何も、この『少年少女漂流記』がそうだというわけではないのだが、しかしこのところ原作付きのマンガを担当することが多い古屋兎丸と小説以外の他ジャンルに活動の幅を広げつつある乙一の、ここでの合作は、双方にとって何かしらかの試金石めいた意味合いを含んでいる、と考えられなくもない。単純に乙一が原作を担当し、古屋が絵をつけるといった作業により、作品がつくられたのではなくて、直截的な話し合いのなかでストーリーが組まれていったことは、巻末の対談(ちなみにどこにもクレジットされていないけど、この対談自体もすでに『小説すばる』3月号に載っていたもの)で述べられているとおり、どちらの持ち味も殺さずに生かしてある内容に仕上がっている。基本的には、オムニバスの形式で、各話ごとに、クラスでは浮いた存在の少年や少女たちが、肥大した妄想を漂流したのち、現実に帰還するまでを描いている。一話目や二話目らのへんは、まだコツがうまく掴めていないのか、思春期の自意識をベースに、わざわざ影とヒネった演出を加えてみました、といった感じの、まあ掲載誌が『小説すばる』だからあれだけど、90年代の『ガロ』や、今だったら『アックス』とか『クイック・ジャパン』などに載っていれば、ちょうど収まりのよさそうな典型に止まっており、正直なところ連載時に読み、がっかりしたのを覚えているのだが、三話目あたりからぐっと良くなる。五話目の「お菓子帝国」と六話目の「モンスターエンジン」は、最高潮に痺れたな。全エピソードの主人公が一堂に会する最終話「ホームルーム」は、本来は指向が異なるはずの登場人物たちを、同一の着地点でまとめてしまっているため、個人的には蛇足に感じられもしたが、それでも、ひじょうに良質な作品として完結している、と納得のできる範囲である。

・その他古屋兎丸に関する文章
 『彼女を守る51の方法』第1巻について→こちら

・その他乙一に関する文章
 『UTOPIA』について→こちら
 『銃とチョコレート』について→こちら
 「愛すべき猿の日記」について→こちら
 『小生物語』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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