ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年03月25日
 冬の旅

 近年、吉田修一や阿部和重、中村文則の例を挙げるとすれば、21世紀に純文学が発見あるいは再発見したものの一つは犯罪小説であったといえよう。後輩の芥川賞作家たちに触発されたのかどうかは知らないが、辻原登の『冬の旅』もまた大変立派な犯罪小説となっている。20世紀を舞台にして、ワイドショー的なリアリズムを採用しながら、一体「悪」がどこからやってき、何に宿るのかを観念のレベルで探るかのような小説になっているのである。

 その男、緒方隆雄はつい先ほど服役を終えたばかりだった。二〇〇八年、六月八日。つまりは秋葉原で通り魔事件が起こったあの日のことだ。もちろん、それは緒方の人生とまったく関わりがない。少なくとも緒方にとってはどうでもいいのである。滋賀の刑務所を出て、大阪に戻った彼が五年分の作業報奨金、約十七万円を使い果たすのは早かった。当面の宿泊費を払い、二晩、風俗店に通った。二度づけOKの串かつ屋で飲み食いもした。少なくなった手持ちを増やそうと競艇に賭けて、負けた。たったそれだけ。俗っぽいし、しょっぱくもある。お決まりのパターンであるようにも思われる。

 だが、たとえばそれをお決まりのパターンだというとき、いかなる因果によってそれはそういう風に「決まっている」「決められている」のだろうか。こうした問いを引き受けるかのように、やがて物語は、なぜ緒方が刑務所に入らなければならなかったのか。京都の専門学校を卒業してから様々な道筋を経、犯罪をおかし、逮捕されるまでの十数年間を回想していくこととなる。ああ、「私は別様に生きえたのに、このようにしか生きえないのは何故であるか」そして「おれの最初の躓きは何だったのか」

 本編のおおよそを占めるのは、緒方隆雄が三十八歳となる二〇〇八年をさらに遡った過去の出来事であって、それは90年代から00年代の前半を丸ごと包括している。バブル経済の崩壊があり、地下鉄サリン事件がある。阪神・淡路大震災が起こったとき、緒方は何をしていたのか。もしくはその後、どういういきさつがあって強盗致死事件の共犯者となってしまうのか。看護婦だった妻が失踪し、変死を遂げる。新興宗教の広報として活躍していたのに、横領がバレ、多くを失う。三十歳を目前にして、彼の人生はまるで下り坂に入っていくのである。

 一見、『冬の旅』は、緒方の物語である。が、同時に何人かの並走者がいる。刑務所のなかで誰からも惜しまれずに亡くなる老人の久島や、現代的なサイコパスを彷彿とさせる大学生の白鳥がそうであろう。彼らは人生のある時期に緒方とわずかな接触を果たしたにすぎない。実際、男性の鎖骨のその窪みにエレクトする白鳥青年が、染色体に異常を持っていること、中学生の頃に同級生の少女を殺害したこと、大学を辞めた後、神を捜してアメリカに渡ったこと、日本に帰ってきてから再び殺人をおかし、保護病棟の独房へ収監されたことなど、緒方は最後まで知る由がない。我々読み手は単に、別個に存在する緒方と白鳥の人生を並べて、覗き見するのみなのだ。

 久島についても等しく、詳細なプロフィールが次々語られる反面、緒方はその一端しか知れない。これによって、登場人物が他の登場人物にどう関与したか、影響を及ぼしたのかはある種の保留状態において推測されるよりほかなくなってくる。要するに、彼らは「点」として作中に打たれているのであって、その「点」と「点」のあいだに明確な「線」は引かれない。いや、いったんは「線」で結ばれはするけれど、切れてしまったのか。消えてしまったのか。結ばれたままだとしても、直接には可視できなくなっている。その、目ではとらえられない。具体的には示しえない「線」の存在こそが、おそらくは因果というものなのだろう。

 もしも、緒方の最初の躓きが白鳥との出会いにあったとしよう。しかし、それが真か否かは誰にも証明できない。同様に彼が犯罪をおかした際、何がそうさせたのかも一概には判じきれない。緒方も、久島も、白鳥も、完全に別個の人間である。だが、「繰り返す」存在として共通しているようにも思われる。無論、躓きを、しくじりを、犯罪を繰り返すのである。「悪」がそうさせるのだとすれば、それはどこからやってくるのか。それが宿りうる人間には相応しい条件が備わっているのか。当然ながら、誰にも断定できない。断定する資格が誰にもない。

 結局のところ、緒方隆雄は以前とは異なった形で犯罪を繰り返す。刑務所を出て、一週間も経たず。熊野まで仏参りに行った先で、自分に向かってくるパトカーのサイレンの音を聞くのである。しかし、不思議とそれは彼を勇気づける。〈これまでずっと、あれよあれよと流されるままに生きてきたが、いまは違う〉と。〈おれはおれの人生に別の意味合いをみつけた上で、縛り首になるんや〉と。あたかも天啓のように響く。そして、そこで緒方の『冬の旅』は終わる。
posted by もりた | Comment(1) | TrackBack(0) | 読書(2013)
この記事へのコメント
主人公がどこまでも転落してゆくのは読んでて辛かったですけど、現代の閉塞感をよく表しているのかもしれません…。
Posted by aisym at 2013年04月07日 14:46
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