ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年03月24日
 彼女の血が溶けてゆく (幻冬舎文庫)

 まさか、まさか。まさか、ファン以外の方にも安心して読ませられる浦賀和宏の小説が存在するだなんて。いやまさか、その一点が『彼女の血が溶けてゆく』における最大の驚きであって、裏を返すなら、他の作品に見られるカッティング・エッジであるような魅力は影を潜め、一編としての整合性を高めることに照準を絞った物語が書かれている。この作者にかぎっては、良くも悪くも、ということになるだろうか。思わず、きいい、と感情を逆撫でされたり、目を剥いてしまうほどの強烈さ、インパクトはない。かわりに、うっかりしたら、だよ。希望や再生にも似た光明を受け取ってしまいかねない結末が用意されており、その意味で、ファン以外の方にも安心して読ませられるものとなっているのだ。

 離婚した妻は大手の病院に勤める内科医であった。彼女が誤診によって一人の患者を死なせてしまい、遺族に訴えられ、スキャンダルの的となったことから、現在はフリーランスのライターとして週刊誌で活動している主人公は、依頼と私情とを通じ、事件に関わっていくようになる。溶血と呼ばれるその症状は必ずしも死に直結しない。ではなぜ患者は死ななければならなかったのか。やはり診断に手違いがあったのか。あるいは別の原因があるのか。かつての妻や患者の遺族に取材するうちに、主人公は予想もしなかった真相へと辿り着くのだった。

 こうした筋書きは、一般的に医療ミステリと称されるのに近い印象をもたらす。実際、普段馴染みの薄い症例や用語が事件の骨格を担ってはいるのだが、物語の指針は、医療のシステムや社会上の問題ではなく、あくでも個人の内面に向いている。登場人物の内面に秘せられた謎を、探偵役の主人公が解いていくそのプロセスに二重三重の仕掛けが凝らされているのである。かくして、医療の分野に対する目配せを経ながら内面の謎が解かれるとき、運命や不幸は遺伝子のレベルで決定されるという、つまりは浦賀和宏に特徴的なテーマをこれもまた負っていることがわかってくるだろう。根源的な呪いと換言してもよいそれをめぐり、しかし従来の作品とは毛色が違って、現実から大きく飛躍した終末論や陰謀論は絡んでこず、むしろ靴底をすり減らすかのように地道な展開のなか、サプライズの埋め込まれていることが『彼女の血が溶けてゆく』の機軸を兼ねている。

 この世界に見捨てられたと信じている者が、その認識から救われるためには、この世界の有り様を作り変えようとするよりほかないのか。所詮、それは悲劇や惨劇に等しい結果をもたらすのに相応しい方法でしかないというのに。

 降って湧いた好機をことごとく叩き潰すかのような成り行きは、もちろんこの作者が得意とするところであって、『彼女の血が溶けてゆく』も本質としては同様の手はずを整えている。当初は単なる誤診と目されていた事件が、しかし真相に近づけば近づくだけ、徐々に錯綜していくのは、登場人物たちの、この世界は利己の強さによって必ずや書き換えられるという企みの折り重なりこそが、のっぴきならないミステリの正体であったことを並行的に暴いているためだ。ああ、そうか、そういうことだったんだ、と納得のいく答えを得られたとしても決して胸がすくわけではない。基本はグロテスクなお話である。が、先に述べたことを繰り返すけれど、それでも結末でうっかり、希望や再生にも似た光明を受け取ってしまいかねない。なぜか。最後の方に置かれた主人公の言葉を借りるのであれば、〈俺は何故ここに来たのか? そう自問する。女の肌を求めたからか。それともただ寂しさを埋めるためか。どちらも正解だろう。だがそれだけではないはずだ――〉とされる〈だがそれだけではないはず〉のことが、確かに決心され、示されている。そこに暗澹たる気分を少しばかり拭うような手応えが現れているのである。

 ただし、これが肝要なのだが、作中で「贖罪」といわれる主人公のその決心は、一昔前のギャルゲー(泣きゲー)に見られた倫理とさほどかけ離れてはいまい。白痴もしくは難病を患っていることがイノセントの保証となっているような少女を媒介にして、なんらかの正当性を自分に課そうとしている。無論、「贖罪」の対象である登場人物は最早少女の年齢じゃないじゃねえか、と口を挟むことはできるものの、明らかに白痴であり難病でもありうる少女のイメージを仮託されている点に注意されたい。おそらくは意図的に、感動してもいいよ、というサインが組み込まれている。

 エンディングにゲームセンターが選ばれているのは、もしかしたらインターネット上でちょっと前に拡散された例の「ゲーセンで出会った不思議な子の話」を参照しているのかもしれない。そうした参照が善意によるものであれ悪意によるものであれ。件のエピソードが受けたりもするのだから、この意味で、もう一度いうが、ファン以外の方にも安心して読ませられるのではなかろうかと思う。

・その他浦賀和宏に関する文章
 『女王暗殺』について→こちら
 『萩原重化学工業連続殺人事件』について→こちら
 『生まれ来る子供たちのために』について→こちら
 『地球人類最後の事件』について→こちら
 『堕ちた天使と金色の悪魔』について→こちら
 『世界でいちばん醜い子供』について→こちら
 『さよなら純菜 そして、不死の怪物』について→こちら
 『八木剛士史上最大の事件』について→こちら
 『上手なミステリの書き方教えます』について→こちら
 『火事と密室と、雨男のものがたり』について→こちら
 『松浦純菜の静かな世界』について→こちら
 「三大欲求」について→こちら
 「リゲル」について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(2013)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/351363579