ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年03月09日
 デザート(2)<完> (ヤンマガKCスペシャル)

 吉沢潤一が前作の『足利アナーキー』とこの『デザート』で何をやろうとしたのか。正直なところ、よくわからないのだけれど、一種異様な個性を確立しつつあるのは明らかである。もしかすれば、浅野いにおと平川哲弘のあいだのどこかに置くことのできそうなその作風は、つまりリアリズムをファンタジーとして描くこと、あるいは反対にファンタジーをリアリズムとして描くことを基礎にしているのだったが、しかし、ポップ・パンクを愛好するこの若いマンガ家の場合、あまりにも直接的な言語の指示とほとんど暴力的なイメージの奔流とが、果たしてそれが意図なのか脱線なのかはともかく、本筋やテーマを見えにくくしてしまう。突拍子もない振る舞いに、ラディカルであったりアヴァンギャルドであったりするのに近い迫力が備わっているのだ。

 私見を述べるなら、『足利アナーキー』は、ヤンキー・マンガ版『ONE PIECE』であるように思われた。日本一のギャングを目指すという主人公の目的は、ルフィにおける海賊王のテーマを代替しているのだし、実際、それが並みいるアウトサイダーたちを特定の集団にまとめ上げていく。こうしたプロセスが本筋を担っていた。とするのであれば、『デザート』はそれの拡張ヴァージョンと解釈することもできるのではないか。本編の主人公はキノ(紀有希)とデザート(鈴木苺)男女のダブルである。一見するとボーイ・ミーツ・ガールのストーリーを持っているのだが、カップルというより同志であるような二人の関係は、ルフィとナミのそれに重ねられるだろう。当初、デザートは抑圧される人物でありながら信念をなくさない人物でもあった。その彼女がキノによって解放され、彼と道行きを共にすることとなる。他方で、キノの活躍は各々身勝手な不良少年たちを結束させるという機能を兼ねていくのだから、おお、なんて『ONE PIECE』的なんだ。

 が、そうした本筋やテーマにあたるものは、既に記した通り、あまりにも直接的な言語の指示とほとんど暴力的なイメージの奔流を通じ、必ずしもクリアには見られなくなっている。そして、そこが吉沢潤一ならではの個性になっているのである。たとえば、この2巻のクライマックスだろう。デザートと烏山の対決に目を向けられたい。ヒロインVS悪党という単純な構図を、人類や宇宙の存在までをも問う謎の哲学が、過剰なモノローグとなり、さらには飛躍したカットとなって、まったく覆い尽くすとき、ああ、ここに描かれている内容を十分に理解している人間がいたら一体何がどうなっているのか是非教えて欲しい。おそらく、作者自身も完璧には解説しきれない。つまりは感受性のレベルでスペクタクルを再現しているのであって、ロジックには転じえぬインパクトだけは見事に達成されている。

 ことによったら柴田ヨクサルにも通じる。形而上と形而下のシェイクを登場人物のアクションとして戯画に置き換える。いささかアクロバティックなアプローチをこの若いマンガ家は身につけているのである。突如、物語を放り出すかのような最終回を迎えた『足利アナーキー』に比べても『デザート』は短い連載となった。その結果、初期衝動を思わせる質のエネルギーがラストまで維持されたといえる。

・その他吉沢潤一に関する文章
 『足利アナーキー』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
  1話目について→こちら
  番外編「乙女シンク」→こちら
 「ボーイミーツガール」について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
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