ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年02月16日
 bunch.jpg

 『週刊コミックバンチ』第12号(07年3月2日号)掲載の読み切り。『柳生非情剣 SAMON』は、余湖裕輝と田畑由秋のコンビが、隆慶一郎の小説『柳枝の剣』を頼りに、時代劇に挑戦した一作である。徳川三代目将軍家光は、幼少時よりつねに持った身体的なコンプレックスと、平静の世で具体的な敵のいないことから来るプレッシャーを克服すべく、己の剣術に磨きをかけるのであったが、教えを請う柳生十兵衛の抜きん出た才能を前にしては、新たな屈辱と畏怖を覚えるしかなく、結果、稽古役から十兵衛は罷免される。しかし十兵衛には敵わぬまでも、己の実力に相応の覚えがある家光は、十兵衛の弟、左門に仕合を申し込み、五分以上に渡り合ってみせることで、自信の回復を試みる、が、はたして仕合の場において、左門のとった思わぬ行動と態度に、つよい衝撃を受ける。原作の小説を読んだときはないのだけれども、これはこれで、柳生左門の貫き通された生き方が、徳川家光という負の精神を、いかにして説得するか、の人間ドラマとして、なかなかの見応えがあった。登場人物たちの存在感にも、作品を印象深くするのに、十分なだけの重みがあり、今後に余湖と田畑による時代劇の、それも本格的な長篇を期待したくもなる。ところで、作品のあとに田畑の「隆慶一郎世界と魅力」なるコラムが付せられていて、じつはそちらも興味深い内容に思われたのは、そこに〈私はファーストガンダム世代にハマった80年代オタクです。歴史的知識は手塚治虫先生の漫画から得るのみ〉だという田畑はじつは、原哲夫の『花の慶次―雲のかなた―』で隆慶一郎に出会い、やがてその物語世界に惹かれていったと書かれ、たとえば隆の小説のほとんどは〈徳川家康、後水尾天皇、柳生を軸に、まるで水島新司先生の「大甲子園」や松本零士先生の作品のように同じ登場人物が視点を変え描かれたりするところも見どころなのです〉と説明しており、また今回のコミカライズに関しては〈『柳生非情剣』は隆先生の作品の中でも主流とはズレた話で、敵側として扱われる柳生家を主役にした話なのです。ガンダムで例えるならザビ家列伝のような話に当たるような話〉といっていることが、このガンダムで例えるなら、という箇所を顕著に、それこそ大塚英志がよく、80年代以降のオタク世代が実際の歴史をガンダムの年代記ふうに理解し認識し解釈する云々と論じているのと、ちょうど符合するかのように見えるからで、そういえば余湖・田畑コンビの以前作『アクメツ』は、特撮ヒーローのノリで、政治の問題を相手どったものであったことを思い出させるわけだけれど、さておき、もしかすると田畑が述べているのはたんに、隆の小説はサブ・カルチャー的だ、ということの言い換えにすぎないのかもしれない。だが〈しかし、なんといっても私の心を最もとらえたのは、人として魅力的であるとはいかなることか、それが一貫して描かれていることでした、【惚れるに値するキャラクター】この極めてシンプルなテーゼは私の人生にとっても一大転機になったのです〉と、この点に着目し、もう一度『柳生非情剣 SAMON』を読み返したさい、そこにあるのは、個々の人間が理念や理想に殉ずる姿に他ならない、と気づかされる。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック