ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年02月11日
 うさぎドロップ 2 (2)

 大人になるというのはもしかすると、保護者としての役割をまっとうするということであるのかもしれない。と、たとえば一定の年齢になり、生殖能力と殺傷能力とを兼ね揃えたら、この社会においては、行動に相応の責任をともなわなければならない、として、責任を果たさない果たせない人間を、とっても大人だな、とは判じられないし、反対に、ぼく子供だもん、といった具合に、そもそも責任を引き受けようとしない輩だっていて、周囲が無理矢理、大人のレッテルを貼ったところで、なんら解決に至らないことも少なくはない。結局のところ、ままごとをやっているわけではないのである。いや、ままごとのなかですら、利口な子供ならば、その役割をこなそうとする。宇仁田ゆみの『うさぎドロップ』2巻を読みながら考えていたのは、そんなことだった。祖父の隠し子で、6歳児のりんを引き取った三十路の独身男である大吉は、子育ての難しさ忙しさに悩みつつも、ゆっくり、りんのいる毎日の営みをごく自然なものとして受け入れてゆく。そうして親密さが増せば増す分だけ、杳として行方の知れないりんの母親に対して、許せない部分も出てくるのであった。こうした心境のデリケートな変化は、〈怒りはますますこみ上げてくるし 納得いかないことばっかだし(けど…今のりんとの時間…今りんが楽しいと思うこと…か…そうだな…先のことも大事だけど 今 あいつには俺しかいないんだもんな…それだけは忘れないようにしないと)腹立ててばっかじゃダメだ…〉というモノローグにおける、またじっさいに作中で大吉がとる行動の、優先順位に、よおく示されていると思う。しかし、ようやく発見された祖父の遺書から、りんの母親の足どりを掴んだ大吉は、ついに彼女と対面することのなるのだが、この母親、正子の態度に大吉は〈彼女は言動が子どもじみていたり一貫性がなかったり 大事な話の最中に甘いモンばっかり食ってたり そうかと思うと 俺じゃ思い付かない様な母親らしいことを言い出したり その妙なバランスが俺には何とも…〉と困惑し、祖父の遺書にあった「正子には母としての りんへの愛情は確かにある」「ただ 正子はまだ若く 未だ人として親として成熟しきっていないのかもしれない」という言葉を思い出すのだけれども、そのことを、いち登場人物が未成熟なままあることへの反感として見るのではなくて、あるいは独我論的な考えへの違和に読み替えることも可能だろう。そして、その独我論じみた指向が、今日では支配的であるがゆえに、正子のいっけんワガママに見えなくもない主張や、その生活感にも、一種の生々しさが与えられてしまうのである。むろん、それが子を育て、養うにあたって、つまり保護者に向いているかどうかといえば、首を傾げざるをえない。

 1巻について→こちら
 
・その他宇仁田ゆみの作品に関して
 『酒ラボ』について→こちら
 『よにんぐらし』第1巻について→こちら
 『アカイチゴシロイチゴ』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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