ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年05月03日
 ぼくが愛したゴウスト

 ほら、またココロの問題だ、偶然にも、と、読み手であるところの僕は思う。ココロの問題とは、もしかしたらリアリティの問題なのかもしれない、とも。十一歳の少年が、生まれてはじめて一人で遠出をした夜、世界はすこし表情を変えた。「くさったような」「へんなにおいがする」と〈ぼく〉が言う。母親はその臭いに気づかない。やがて生まれる違和感は、国家機密の奥深くへと幽閉される。自己と他者あるいは意識と無意識をメタ的な視点から捉える、そういう振る舞いがある種のスタンダードになったこの時代からすれば、とりたてて驚くべき結末ではないけれども、それでもストーリーの作り方は巧く、見事にハマる。けれども、僕が気にかけるのは、どうして人間はこのような物語を必要としなければならないのか、ということで、それはやはり、リアリティというものを大きなイデオロギーが保証するような局面は終わってしまい、人々は各々サブ・カルチャーをイデオロギーの替わりに機能させなくてはならない、次の局面が到来しているからなのだろう。心とはなんだ? 愛とはなんだ? 悲しみとはなんだ? 喜びとはなんだ? 生きるとはなんだ? 死ぬとはなんだ? といった問いかけは、もはや文学にも哲学にもなりえず、ただサブ・カルチャーとして消費されてゆくのみなのである。や、作品自体はおもしろかったのです。この作家のものは『裸者と裸者』と、先日文庫化された『苦い娘』しか読んだときがないけれども、今度は有名な『ハルビン・カフェ』あたりを読んでみようかしら。

 『裸者と裸者(上) 孤児部隊の世界永久戦争』についての文章は→こちら
 『裸者と裸者(下) 邪悪な許しがたい異端の』についての文章は→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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