ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2013年01月15日
 銀のスプーン(6) (KCデラックス)

 ああ、どうか。この〈……ぼくがしあわせであるように …その人たちもしあわせでありますように この同じ空の下で …どうかしあわせでありますように〉と祈れる心優しい青年の前途が明るいものでありますように。願い。

 ほぼ同じ題名である荒川弘の『銀の匙』がほぼ同じ時期に存在しているのがどういう偶然かはさておき、小沢真理の『銀のスプーン』は、日々生きるていることの賛歌をささやかに歌うかのような作品であって、登場人物たちが自然と併せ持ったせつなさや、あたたかさ、厳しさに、ついつい胸を打たれる。

 料理のレシピや食卓にまつわるエピソードを作中に盛り込んだ内容は(ヤングな女性層に向けてカスタマイズされた)グルメ・マンガのカジュアルなヴァージョンとして区分することが可能だろうし、何よりもコンセプトありきでスタートした部分もあったのではないか。しかしそれを踏まえてもなお、主人公である律とその家族をめぐり幸せと不幸せのシーソーがいくつもいくつも繰り返されていく。筋立てにぐっとくるのである。

 確かに、女手一つで三人の子供を育ててきた早川家の母親が病気によって失われるかもしれない。という出だしからシリアスなパートのふんだんなマンガではあった。が、律と同級生である夕子の初々しいロマンスや、だめな大学生男子の典型みたいなサイキックスのコメディ・リリーフぶりなどがそうであるとおり、体温が冷えるほどヘヴィなムードを全面的にしているわけではなく、むしろにやにやしたり、ほっと胸を撫でおろせる一場面一場面のなかに「生活」と呼ぶに相応しい風景が眩しくひらけていた。

 それがここにきて、あまりにもやるせない展開を迎える。ルカという少年の無垢で真っ直ぐな眼差しは、そのあどけなさが似つかわしくない現実を律に教えるだろう。自分が養子であることを知り、悩んでいた律は、ようやく実の両親を訪ねていこうと思う。結果的にもたらされたのは、母親にネグレクトされている弟、ルカとの出会いであった。

 冒頭に引いた律の〈……ぼくがしあわせであるように …その人たちもしあわせでありますように この同じ空の下で …どうかしあわせでありますように〉という祈りは、結局のところ、聞き届けられなかった。代わりにひどく寂しい姿をしてその回答は彼の目の前に現れたのである。

 養子でありながら家族に充分愛されてきた律が、今の「生活」を幸せだと感じられれば感じられるだけ、ルカの不幸せは大変理不尽に思われてしまう。ルカに対して何かできることはないかと考えてしまう。誰だって他の誰かに差し伸べられるやわらかい手を持っている。周囲との関わりにおいて、それは間違いなく真(true)であったのだ。こうしたテーゼに含まれるやさしさこそが『銀のスプーン』の筋立てを魅力にしてきたものにほかならない。

 律ばかりではない。今巻(6巻)には、早川家の次男である調をメインに、彼の後悔を淡く描いた回が入っている。バスケット部の後輩が不良の仲間になるのを引き止められなかった調は、ガラの悪い連中を前に尻込みしてしまった自分の臆病さを強く噛みしめるのだった。無念である。無力である。けれど、他の誰かに差し伸べられるやわらかい手を持ち合わせていなかったならば、そもそもその後悔は生じていない。

 調の抱えていた問題と律の抱える問題にストーリー上の繋がりはないが、他の誰かに自分は一体何ができるのか、というアプローチのレベルで一致している。題名である『銀のスプーン』が指しているのは、おそらく、分け与えられる気持ちのことだろう。律とルカがはじめて顔を合わせるシーンでそれは実に印象的(あるいは象徴的)な役割を果たしていく。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2013)
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