ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2007年01月10日
 ナンバMG5 8 (8)

 硬派に興味がある。あるいは僕がヤンキー・マンガの類を読む理由のひとつには、そうした関心の高さがあるのだった。と、そういえば、以前に吉田聡がコラムか何かの文章で、ナンパというのは、本来、軟派のことをいい、硬派との対でもって使われる、男の生き方を二分するカテゴリーのひとつだったはずなのに、いつから女の子を引っかける行為を指す意味で使われるようになったのだろう、といったような懐疑を呈していたけれど、それというのはおそらく、軟派の、その対向であるべき硬派が影響力を失していった問題と密接であると思われる。要するに、男らしさの意味が一義的ではなくなるにつれ、硬派・軟派の二項対立が立ちいかなくなってしまい、それら本来の語義が忘れられることとなったのだ。もしかすると、軟派からナンパへの変容は、学校文化における、たとえば番長などの定義が消失したのとパラレルなのかもしれない。が、ともあれ、『フジケン』以降の小沢としおのマンガには、いや、ま、ユーモアの部分はさておき、シリアスな面にかぎれば、硬派ともとれるほどに頑なな意地を貫く男の子の姿が多く見られる。応援団の進退を扱った『ダンコン』などは、その、もっとも顕著な例だといえるし、もちろん『ナンバMG5』の主人公で、筋金入りのヤンキーでありながらもシャバい小僧に憧れる難破剛もまた、硬派というに相応しい存在だろう。だいたい、ヤンキーのサイドからみたとき、「シャバい」という形容は、硬派よりも、軟派に寄った傾向を含むのではないか。つまり、おおまかに言い換えると、剛の属性は、本質的に硬派なのである。そうして、そのことが、この8巻では、大丸という熱血漢に〈藤田さんは お前のこと弟みてぇに守ってやりたくなるって…そんな藤田さんんにテメーは…バリバリのヤンキーのクセにシャバいふりして近づきやがってよ!! テメーはな ダニ以下だよ!!〉と責められることによって、明るみになっている。剛にしてみたら、当然そんなつもりはない、〈オレ…一度だってお前や藤田さんのことダマそうと思ったことねーんだ〉けれども、大丸の怒りに、ひどく動揺させられる。こうした真面目な悩みを、照れず、真っ向から描いているのが、やはりこのマンガのチャームで、〈ウソつきだよ 結果的にはな だた……アイツはそのウソを楽しんじゃいない〉と剛の気持ちを汲み取ってやる伍代の言葉を聞き、大丸が深刻な顔つきになるのも、一種の健全さを茶化さず、いじけた表現になっていない、良いシーンだ。

 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら
 1巻について→こちら

 1話目について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(07年)
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