ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2012年12月21日
 ばくだん!~幕末男子~(6)<完> (講談社コミックス)

 フィクションの世界には、坂本龍馬を悪党のように扱ってはいけない、というルールでもあるのか。大抵の場合、坂本龍馬はヒーローとして描かれ、生き、死ぬ。こうしたパブリック・イメージを越えることはほとんどない。もちろん、それこそが多くのファンに望まれているものなのだろうし、それに見合うだけのカリスマが実際的にあったのかもしれない。が、偶にでいい。偶にでいいので、もっと違った龍馬が見てみたい。様式美から外れた自由な龍馬が見てみたい。すげえ悪党のような坂本龍馬が見てみたい、のである。

 そこで、もしかすると悪党・坂本龍馬が描かれるのか、と期待させられたのが、加瀬あつしの『ばくだん!〜幕末男子〜』である。序盤、岡田以蔵を凶行に走らせ、その後、正体は不明なまま不穏な動向をうかがわせていたあたりで、おお、こいつが坂本龍馬であったなら間違いなく悪党だぞ。わくわく予感させられたのだった。さすが加瀬あつし、ステレオタイプな発想にはとどまらねえな、と。しかし結論からいえば、主人公である安達マコトとの直接対決が展開されるこの最終巻(第6巻)で、確かに悪党のような坂本龍馬ではあったけれど、その正体が坂本龍馬のフェイクであったことも明かされてしまう。ばかりか、連載終了後に発表された番外編(エピローグにあたる)で、オリジナルの坂本龍馬はやはりヒーローとして扱われているのを少々残念に思う。いや、個人的に坂本龍馬を嫌っていて、だから悪党にして欲しい、というわけではなく、パブリック・イメージに忠実な坂本龍馬の活躍を見るたび、どうもフィクションの限界を考えさせられるのだ。いずれにせよ、体中にタトゥーを入れ、サブ・マシンガンをぶっ放す坂本龍馬の像は新鮮だし、痛快だったが、フィクションの限界ににじり寄っていくなかで今一つ中途半端に終わってしまったところが『ばくだん!』にはあったのだと言いたい。

 加瀬は1巻の巻末でインタビューに答え、幕末版『カメレオン』として『ばくだん!』は構想されていると述べていたけれど、第二次世界大戦中の軍人をモチーフに持ってきていた『ゼロセン』の後、やんちゃな日本人男子をテーマに戯画化を果たしていく上でさらにルーツを辿る、つまりは幕末(近代)にまで遡るのはある種の必然だったのだろう。『ゼロセン』では、コールド・スリープという擬似的なタイム・スリップを使い、過去の人物を現代へと召喚したのに対して、『ばくだん!』では、直接的にタイム・スリップのアイディアを採用し、現代の人物を過去に飛ばしている。そうすることで、かつての日本人男子にはあって現在の日本人男子にはないもの、あるいはその逆において存在するものを、シリアスとユーモラスの双方から加えられる力を通じて、フィクションの域に浮上させようとしたのではないか。

 日本国初代大統領を目指す安達少年の挑戦は本来、今なお大勢にヒーローとして望まれ続ける坂本龍馬を越えたその先を切り開かなければならなかった。それにしても「ばくだん」というのはマンガ史において不吉な題名である。たとえば、本宮ひろ志に『ばくだん』という作品がある。宮下あきらに『BAKUDAN』という作品がある。かわぐちかいじにも『バクダン』という作品がある。他にだってまだあるかもしれないが、決してヒットはしていないだろう。要するに、どれも長くは描かれなかった。名は態を表すのか。加瀬あつしの『ばくだん!〜幕末男子〜』もその系譜に連なった。

 『ゼロセン』1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2012)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック