ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年12月22日
 極道の食卓 1 (1)

 今年は、『月の教室』に『仁義S』、『ポリ公』、それからこの『極道の食卓』と、次々に新シリーズが単行本化された、その一方で『あばよ白書』が文庫になって、『仁義』の無印がコンビニ売りの版で出たというのもあり、立原あゆみの良さと悪さと再確認する機会に、ずいぶんと恵まれたわけだけど、はっきりといえば、主人公がまだ権力を持たず、とにかくイケイケのときは燃えるのだが、ある程度えらくなってしまうと、いきなり作品全体のテンポが悪くなってしまう。これは、そのころには登場人物が膨大に増え、作者が捌ききれなくなるからではないか、と、ひとつには考えられるし、まあ破滅型の主人公が、破滅しないで延命し続ければ、そりゃあ当然テンションは下がろう。唯一『本気!』は、死という終着点が定められたおかげで、後半に読ませる展開を持ってこられた例だといえるけれども、まあ続編が描かれてしまったので、ぜんぶ台無しになってしまった、が。ともあれ、ここ最近の作品は、さらに新境地に入った感があり、ハナから整合性を無視したかのような、度肝を抜くワン・アイディアだけで物語がはじまったとたん、おそらく作者自身も後のプロットなんかまったく気にしていないぶん、そこいらへんのマンガでは味わうことのできない、驚愕のインパクトを、何はともあれ寄越してくれる。それがもう、堪らない。さて本題に入ると、『極道の食卓』の1巻なのだが、この作品の、頭のおかしさ(むろん褒め言葉)は、はたして計算なのかどうだろうか、すくなくとも、もはや常人には及びもつかない想像力の行使されているのは間違いなく、内容を説明するさい、まずは帯にあるコピーを借りてくれば〈極道×料理×学校+恋〉なわけで、この時点でどのような作品か、まったく予測できないあたり、さすがである。ふたたびいうが、堪らない。濁組組長は、55歳にして熟年離婚し、ひとり暮らしをはじめることになる。〈めし! 腹へった〉といったところで、もはや台所で答えてくれる者はいない。それというのは、妻子の将来を考えての決断であり、自分の夢を叶えるためでもある。では彼の望む夢とは何か。夜間高校の門をくぐり、勉学に勤しむことであった。かくして、ここにヤクザの組長の、第二の青春、老いてよりのハイスクール・ライフが幕を開ける。主人公は、久慈雷蔵(くじらいぞう)という、あゆみイズムに溢れた名が体を表すのか、当然のごとく、ポエジー込みで義理と人情に厚い人物であるが、すでにトップにまで登りつめているため野心に乏しく、インポテンツ気味なせいでセックス(性交)への関心も低い、そのかわりに代入されているのが、つまり、食の要素だといえる。落ち込んでいる舎弟がいれば、手作りの御茶漬けやステーキを振る舞ってやり、年下のクラスメイトたちとはコンビニで万引きしてきた食材を載せたホットプレートを囲む、ソーメンといえば流しソーメンだから、大勢の部下を引き連れ、わざわざ山へ竹を取りに行き(そこからかよ、と突っこむのは野暮だよ)、蟹相場での儲けは蟹を食って祝う。やりたい放題である。しかしながら、それで出てくる料理が、こちら読み手の食欲をまったくそそってくれないのは、描写云々の落ち度ではなくて、もはや矜持の域に達しているからなのだと解釈したいのは、久慈雷蔵、メシを拵えるときと食うとき、いや喰うときは、決まって裸になる男で、〈やあ裸はやっぱいいな / コンビニ飯もいい / からしがあればもっといい〉と喜ばれても、困る。だが、三たびいうけれども、そこがまた、堪らない魅力なんだ。

 『月の教室』について→こちら
 『喰人』第1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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