ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年12月18日
 パラパル 4 (4)

 恋愛とは何か、という議論は、真剣に行えば行うほど込み入ってくる性質を持っているので、一般的な生活のレベルにおいては、あくまでも抽象的な感情の指向を指し、そう呼び、済ましている場合が多いように思われる。反面、そうした過程のうちにあって、セックス(性交)が、重要なトピックとして浮かび上がりがちなのは、それが直截的ないし具体的な愛の営み、他者へのコミット、他者からのコミットに見える、そういった思いなしがあるからであろう。セックス(性交)抜きの恋愛というものが考えられなかったり、そもそも恋心といったものが、性欲の下位カテゴリーであるかのように語られてしまうのも、おそらくは、そうした側面からやって来ている。しかしながら、セックス(性交)を基準に恋愛の真偽をはかるのには、何かしらかの抵抗を覚えるとして、それが、けっして特殊な傾向と見なされないのは、肉体的な接触による、快・不快の二項のみで、対象に向け、対象から向けられる愛情の正否が判定されるのは、まあロマンティックではないし、とどのつまり物語にならないよね、と、石田拓実の『パラパル』を読みながら思うのは、いつも、そういうふうなことなのだが、さて、ここまでの展開で、おもだった四人(いや、五人か)の登場人物たちが、各々の定位置についたかっこうになるわけだけれども、この4巻では、それぞれが自分の、特殊な能力で得られる情報とは異なる、確としない、漠とした感情に左右されながら、その表情を、くるくると変える。なかでも、鶴見への他に代え難い想いを意識しはじめた莉花なんかは、そのことが、とくに顕著で、小牧に対する嫉妬からか、以前の幼稚さはそのままに、抑圧された悪意が、歪なかたちとなり、現れはじめるのであった。そうした莉花の言動が、今後、登場人物たちの関係に変化を及ぼしそうではある。ところで、いま、幼稚と形容したが、それは何も莉花にかぎってのことではなくて、小牧、鶴見、四条らにも共通していえるし、たぶん、作者は意図的にそうしている。ここでいう幼稚とは、要するに、抽象的な考えのできない人間のことを指す。莉花や四条が、自分の欲望が他人を巻き込むのに、躊躇いを覚えなかったのは、たんに幼稚だったからなのであり、小牧や鶴見の、他人との距離感がアンバランスなのも、やはり幼稚であるからに他ならない。そうであるがゆえに〈鶴見くんの感触はすごいすきだよ てゆーか 今気持ちいいって思えるの それだけだし…〉という莉花は、小牧の〈……や、だから 鶴見くんのことがすきだから 気持ちいいんじゃないの? それは〉という問いに、うまく答えられないのであり、こうした幼稚性が、莉花に〈あたしが小牧ちゃんみたいになれないのなら それなら 小牧ちゃんがあたしみたいになってくれればいいんじゃないかな〉との、合理ではあるのかもしれないが、本末の見失った発想を浮かばせる。

 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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