ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年04月14日
 ホーリーランド 9 (9)

 うん。そうだな。基本的に、ヤンキー・マンガの延長線上にあるものとして捉えるのが正しいのかもしれない。なので、主人公の自意識下でのウダウダした悩みはネックでしかなく、その部分が前面に出てきてしまうと、あまり感情移入ができない。つまり、この巻は、それほどおもしろくなかった、ということだ。ただ、重要なポイントがひとつある。それはヤンキー・マンガ的なモラトリアムに関わる問題である。土屋という登場人物が主人公に、社会や生活を背負っていないからケンカという遊びができる、と諭す場面だ。そこでいわれているのは、つまり、モラトリアム空間での戯れのなかにおけるアイデンティティの重たさと、その内側にある軽さのことだ。この箇所は重要である。もうすこし言い換える。ケンカをすることが許される、そういう特権階級に主人公がたしかに在ることを示すものとして、ヤンキー・マンガでは血が流される、その事実が明言されている。登場人物の側からみれば、自分たちの置かれている立場を把握することからはじまり、「いま、ここ」でどのようにして生きるかという問いが発せられ、それがそのままシンプルに、生きろ、という提言へと転化しているのだ。が、しかし、この巻の後半で、それは大人と子供の使い古された二項対立に還元され、大人のルール、子供のルール、僕はどっち、みたいなところへいってしまい、「いま、ここ」が見失われる。すると、マッチ・ポンプ式に「自分探し」がはじまってしまう。折角その先へいけるというところまでいって、また後戻りするのである。そのような屈折は、ひどく90年代的であり、このマンガの弱点であると思う。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | マンガ。
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Tracked: 2005-04-19 22:52