ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年12月05日
 ミステリアスセッティング

 〈極限の純真小説〉だとか〈少女の歌声が、奇跡を起こす――〉だとか〈2011年の『マッチ売りの少女』〉だとか、帯に書かれてあるのを見ればこそ、思わず新境地を期待してしまうのであったが、読み終えてみると、いつもどおり、阿部和重の小説といった感じで、この作風に馴染んでしまった今となっては、エントロピーの増大にともないカタストロフへ向かうのではなくて、すかすかのまま、不可避な状況の変化に矮小な個人が組み敷かれていく中盤以降の流れは、たしかに他の作家と比べ非凡であるにしても、これはこれで、もはや予定調和の範囲でしょう、とさえ言いたくなってしまうのは困ったところ、だ。とはいえ、たとえば、すぐれたミステリ小説が作品のうちに用意してある論理的な正回答を、ここに期待していいのかどうか、一概には判断できないにもかかわらず、なにか腑に落ちるような整合性を読み手にどうしても欲望させてしまうつくりは、いやいや、さすがの芸である。そのようなわけで、この『ミステリアスセッティング』という小説では、ひとりのイノセンスに近しい少女の不運な生涯が語られているのだが、もちろん、その語りを真正面から受けとった場合、悲劇的すぎるほどに悲劇的な内容だといえるから、登場人物に深く哀悼の意を覚えたりもする、しかしながら語り手が、けっして真を述べているといった保証がどこにもないため、そうやって悲しんださいのエモーションが、どれだけ誠実であるかを証明するのは、ひどく難しい。つまりは、詐欺師に騙されることを、正直者のステータスなのだとすれば、まあそうなのだろうし、いや、ただ馬鹿を曝しているだけだとすれば、きっとそれもそうで、結局のところ各自の判断に拠るのでしかないのならば、正解は、どこにでもあるといえるし、どこにもないとすらいえる。さて、では『ミステリアスセッティング』の語り手を、詐欺師と見なすべきであろうか。そうだ、とも、そうではない、とも断言しえない。おそらくは、二重になっている語り手の当人たちでさえ、それを証明することができないのは、伝承されるそもそものエピソード自体が、携帯電話のメールを通じ、一方的に送信されたメッセージを、現実に照応させ、一方的に解釈した結果でしかなく、他者との弁証を経て得られたものでなければ、相対的な視点により固定されたものでもない。これはちょうど、そうした語りのなかを生きる少女シオリの、ある種のルーティンをコミュニケーションとして受け入れる態度と、まさしくパラレルになっている。したがって、ことあるごとにシオリが、自分で膨らませた妄想を真実だと信じてみせるように、ここで真実として語られていることが、じっさいには膨らまされた妄想である可能性は、じゅうぶんに疑える。さらに、そのような、語りに対するこちら読み手の解釈も、一方的なものでしかないのだから、当然、ここまで僕が書いてきたことも、たんにひとつの妄想なのだといわれれば、なるほど、そのとおりかもしれなかった。

 『課長 島雅彦』について→こちら

 『阿部和重対談集』について→こちら
 『青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(2) | 読書(06年)
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