ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年11月23日
 もっけ(勿怪) 6 (6)

 ふつうビルドゥングス・ロマンは、過去から未来へと縦長に伸びる時間のうちに物語を置くことで、登場人物の大人びていく精神を顕在化させるものであるが、熊倉隆敏の『もっけ』は、そうつくられておらず、あたかもランダムに引き出されたかのような記録(記憶)が、ひとつひとつの独立したエピソードとして、ときには時系列を無視し、並列的に開示されている。にもかかわらず、少女たちの成長してゆく様子に、不思議と関心が引き寄せられるのである。先天的に物の怪の類と関わってしまう体質である静流と瑞生の姉妹は、その手のものに詳しい母方の祖父に預けられ、両親とはべつに田舎で暮らしている。この6巻では、ふたりの高校進学や中学入学による生活の変化を中心に据えながら、それぞれの自立が描かれているわけだけれど、その一方でたとえば、第30話(♯30「オマモリ」)における、仏壇にある祖母の写真に静流が手を合わせたあとで、祖父のかける〈皆見守っている〉という言葉と、第34話(♯34「オモカゲ」)の、まだ幼かった瑞生が、祖母の死を通じて体験した出来事とは、まさしく響き合っており、そうして作中に視認できるのとは異なったレベルで、彼女たちの精神を支えている何某かが、あわく表現されている点に注意されたい。対人関係の問題を、異者との交わりに置き換えてみせることは、サブ・カルチャーにかぎらず、旧くからある表現のモデルだといえる。そう考えたとき、作品の質はほとんどの場合、異者の側をどう動かすかのプロットではなく、一個の人間がいかにあるか、その成立に奥行きをどれだけ出せるか、にかかっていることに気づく。要するに『もっけ』というマンガの魅力もそこに、つまり登場人物たちがたんなる人形に、そして背景がたんなる書割になっていないところにあるのだ。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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