なんだかわからんが無性にイライラするときというのがある。自分でも何が不満なのかわからないままに、とにかく腹が立つんだよ。
そういうとき人は、恣意的に、怒る理由を作り出し、怒る対象を見つけ出す。もちろん他人から見れば、ほとんど八つ当たりである。けれども、そうするしかない。なぜならば、わからないことをずっと考えることは、とてつもなく疲れることだからなんだと思う。
角田作品はそれなりに読んでいるつもりであるが、当然のように、読んでいないものだってあって、ここに収められた『ピンク・バス』と『昨夜はたくさん夢を見た』のふたつの中編は、今回文庫化されたことで、はじめて読んだのだった。
初期の作だからか、二編とも、彼女の作品のなかでは、わりあい暗い内容のものである
「J文学」のもっとも優れた紹介者である石川忠司は、本作の解説で、角田光代の小説には「疲労感」があるという、「疲労感」とは〈「疲れ果てて沈鬱な」主人公が特権的に描かれているという意味ではまったくない〉、作者が作中の人物を演じている、そのような書かれ方によって生じているのだといっているが、僕は、もしも角田作品に「疲労感」があるのならば、それは、登場人物たちが膨大な情報量のなかで、情報を情報として気づけないことに由来しているのだと思っている。
つまり、わからないことをわからないままで生きることもまた、とてつもなく疲れる作業だということが、書かれているのだ。
ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年07月06日
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